本屋は静かな方がいいと八代亜紀も唄っていたが、

 日曜日は本当は店を開けたくないのだ。何故なら、フラっと迷い込むカップル客などに精神を乱されるからである。こんなことを書く時点で既に「店」をやる資格がないと言われればそれまで。それでも書きたくなるくらいひどい客もたまにいる。こんなに狭い店にカップルで入店し延々おしゃべりしている男女等、最近の本屋の「甘やかし」のツケがウチで払わされてるとしか思えない。ウチはジュンク堂でも丸善でもない。休憩用の椅子なんか用意されてる大型本屋でぴーちくやるならまだしも、居るだけでエコノミー症候群になるような我が店内店頭でペチャクチャ夢中で喋っているカップル客にイライラしたせいで、体調の悪さはMAXに。早々に閉店した。ここのところ微熱が続き、時々偏頭痛、下半身が常にだるく、やたらと甘いものが食べたくなる。さらに残尿感も。前立腺には違和感、慢性的な眼精疲労のせいで運転していると標識がぼやける。起床時から就寝時まで常に脳裡には「借金返済」の四文字。2012年のスローガン「蜂起貫徹」が遠く霞む。自宅のカレンダーは「支払い予定」でびっしり充満、これが噂の「リア充」ってやつか。ボロボロになりながら帰宅してイソイソとテレビに向かう。カープと日ハムは1-0でリードしたまま8回裏の決定的チャンスで前田智のタイムリー!ヒーローインタビューはW前田で決まりだなと、こちらもクライマックス大相撲千秋楽に余裕のチャンネルスイッチ。しかしまず驚いたのは琴欧州の休場!これで四敗力士の優勝がなくなる。稀勢の里か栃煌山どちらか日本人力士に優勝させたい、願わくば稀勢の里に勝たせて横綱への足がかりにして欲しいと言う協会の意図が垣間見える。しかし、我が家は勿論旭天鵬の応援だ。稀勢の里はまずないと踏んでいたが案の定把瑠都に屈し、モンゴルの良心旭天鵬が優勝!その頃マツダスタジアムでは悲劇が起っていた。そもそも赤松の走塁ミスに高校野球レベルのエラーが重なり、緊張感のない場面での今村は迫力なくかつ無意味な連投で疲弊したサファテにキレもなく、こうなると巨人に劣らない日ハム打線は見逃してくれない。結果論だけど、どうせ負けるならマエケンが打たれて負けたかった…。カープの情けない敗戦のせいで益々熱が上がる。水曜日の五反田展目録〆切りと週末の遊古会準備をこのボロボロの身体で乗り切れるだろうか。

at 19:42, 古書赤いドリル, -

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1-0

 東浜の21度目の完封によって亜大が久しぶりの春季優勝を飾った。ランナーは背負いつつ、終ってみれば3塁踏ませず3安打完封という完璧なピッチング、観てる側からすると優勝目前の9回のみ全力で抑えにかかったような、やっとギアチェンしたような、こっちは勝手にハラハラしてたけど本人的には余裕の投球だったのかも。打者からすると狙い球をことごとく外されたような気分だろうか。



 味方の援護はたった1点、それでも相手を0に抑えて見事優勝を決め、挨拶するのは東浜キャプテン。さあ、6月は忙しくなるぞー!


 その夜、カープは楽天に1-0で屈す。延長11回でヒット1本。今秋のドラフトは遠慮せず東浜を獲りに行こうよ、亜大→カープの強いパイプで。2位以下はとにかく野手、即戦力の野手を獲得するべき。カープのスカウト会議にお邪魔して進言したいよ。

at 07:34, 古書赤いドリル, -

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昨日の記録

 橋下の「入れ墨調査」には驚いた。入れ墨を理由に馘首するなんて正気なのだろうか?人員削減の理由探しだとは思うが、やることが益々漫画化している。橋下の「入れ墨禁止令」で連想するのは山岳ベースにおける遠山さんの「指輪問題」である。赤軍派の遠山美枝子がつけていた指輪を永田を中心とする革命左派が指弾した一件だ。指輪をしてようがしてまいが「革命」になんら影響はないはずだが、その「指輪」を以て「革命家」としての姿勢を問う。連赤の悲劇の端緒にもなった。橋下は山岳ベースにおける森=永田化している。囲み取材時における記者への繰り返される詰問なんてまるで「総括」の再現じゃないか。そんなことを考えながら目黒に向かった昨日。昨日の日曜日、目黒区民ホールで行われたのは、全体像を残す会主催のシンポジウム「浅間山荘から四十年 当事者が語る連合赤軍」。今回のシンポジウムの特筆すべき点をピックアップすると、青砥幹夫さんが生出演することであり、また森達也さんや雨宮処凛さんといった第三者が参加する点。


 第一部は映像作家である馬込伸吾さん制作「映像でふりかえる」。60年安保から連赤までの新左翼闘争史を急ぎ足でなぞっていく。蛇足だが『証言9号』で馬込さんが進藤隆三郎の恋人であったAさんのいまの思いを代弁しているのだが、これはとても貴重な証言だと思う。山岳ベース直前の坂東隊内部でのやりとり、特に警察に駆け込むと脅すAさんに対して党を守ろうとする進藤さんの真摯さを伝えるエピソードには心打たれると同時に新たな発見なのではないか。それにしても、馬込さんの活動にも瞠目させられる。


 第二部は当時の活動家たちが語る連赤問題だが、この回では正直何度も繰り返される議論ばかりで新鮮な発見はない。ただ、青砥幹夫さんの言葉には沈黙を守らざるを得なかった四十年の苦渋がにじんでいたように思う。語り続けることである意味矢面に立ち続ける植垣さんと、重い口を開いて言葉を絞り出すように語る青砥さんに、通底するものを見出した気がする。山田孝さんが山岳ベースのCC会議で森恒夫に「死は平凡なものである」から総括の仕方を考え直すことを提案した事実を青砥さんは「森恒夫自己批判書」によって初めて知り、そのことを考え続けたという。山田孝さんが「死を平凡なもの」と考えていた訳はない、死に至る総括をやめさせるためにそういう言い回しをせざるを得なかったのは何故か。植垣さんも或は坂口弘もその著作で似たようなことを述懐していたが、森恒夫を論破する言葉を持たなかったと。森恒夫を論破出来ない限りその総括をやめさせる術はなく、論破できない以上はつきつけられた問題を総括し超克するために自己をひたすら解体するしかない、それが山岳ベースという小宇宙のルールだったと想像する。第四部に登壇した『レッド』の山本直樹さんは連赤事件を「言葉が暴走した」と評していたが、森恒夫から発せられる言葉に対抗する為にはその論理を乗り越える「言葉」しかなく、言葉に伴い吹き荒れた暴力を封じるにはやはり言葉しかなかったのではないか。


 第三部には森達也さん、田原牧さん、弁護士の大津卓滋さんがゲストパネラーとして登場する。森達也さんはやはり場慣れしていて、司会の質問に対して的確に返答する。印象的だったのは「短い言葉で総括しようとしなくていいのではないか」という提案。連赤関係者が必ず口にする「連赤をどう総括するのか」という出口なき自問に対してのその発言は新鮮だった。オウム問題を考え続けている森さんだからこその発言であろう、ただ残す会の活動はまさしく「残す」会であって「総括する」会ではないという点で森発言から乖離していないように思った。
 田原牧さんは「連赤」が市民権を得るのは気持ち悪いと、これも刺激的な意見だった。なるほど例えば東大闘争などが「青春の1ページ」として語られることが多いなかで、「青春の1ページ」に収斂することがなかった連赤つまりあさま山荘事件も、若松監督作品以降「彼らは本当はピュアだった」という文脈に収まりがちである。そのことに対する田原牧さんの異論には納得できる。司会の金廣志さんが若松監督作品のクライマックスシーンを引き合いに締めくくった。「加藤三兄弟末弟の勇気がなかったんだよというあの台詞こそが事件を矮小化し現代日本市民社会のロジックに取り込まれることなのでは」と。かつて映画公開後、静岡の「バロン」で「あの台詞で映画のすべてが台無しになった」と言ったぼくに植垣さんは「勇気がなかったんじゃなくて勇気がありすぎたんだよ」と笑った。昨日も同じことを壇上で言っていた。あの場面でかかるジム・オルークがカバーしたビル・フェイの「Pictures of Adolf Again」は確かにいい曲ではあるけれど。


 第四部は山本直樹さん雨宮処凛さん他計5人が登壇。その時点ですでに四時間経過。出ずっぱりの当事者四人、雪野さん前澤さん、植垣さん、青砥さんはちょっとお疲れの様子、コメントを求められる青砥さんの回答がどんどん短く鋭くなっていて逆に面白かった。雪野建作さんの回答は毎回丁寧で論理的、いつも思うことなのだが、穏やかで紳士的な雰囲気の雪野さんが真岡で銃を奪い武装闘争を目指し十年も刑務所で暮らしていたというのだから、なんというか、やはり「連赤」は奥が深い。雪野さんの発言で印象に残ったのは、「雪野さんが奪った銃であさま山荘で機動隊員が死んでることに対して謝罪しますか」という金さんの挑発に対して「真岡の銃で人は死んでない」からその点で反省はしない、ただし「武装闘争」に同意した自分を反省はする、と静かに語られたその言葉。雪野さんは榛名に入る前に逮捕されていたからその現場に居合わせたわけではない、ただ同じ横浜国大の左派の仲間たちを失っていることの責任を見つめ続ける40年だったことは間違いない。『証言2号』で読むことができる雪野さんの「優しい性格に鞭打って闘った、寺岡恒一さん」は何度読んでも泣けてしまう。雪野さんが刑期を終えて寺岡さんの実家を訪ねてそのご両親に歓待されるエピソードを読むたびに裡に湧くのは、連赤で亡くなったひとりひとりの物語を想像し続けなければならないという自戒の念である。『レッド』の山本直樹さんがその登場人物すべてが愛しいと話していたのはつまりそういうことだろう。映画だから仕方ないこととはいえ、若松映画でもやはり死んでゆくひとりひとりに割かれる尺に差があり、字幕のみで誰々死亡なんてあっさり片付けられてしまったりする。字幕のみで語られる死を掘り起こす作業を古本屋としては目指さなければならないという自戒だ。


 全体を仕切った金さんの司会がなければ、五時間で終ることはなかったろう。簡潔にまとめるのが苦手な新左翼活動家の発言の要旨をわかりやかく翻訳する金さんの手際に「さすが受験のプロ」と感心した。充実したイベントを開催した全体像を残す会に敬意を表すると同時に、残す会が編む『証言』シリーズは当店でも入手可能であることを宣伝して報告を終わります。

at 12:47, 古書赤いドリル, -

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5月12日と13日はお休みします。

臨時休業させて頂きます。宜しくお願い申し上げます。

at 10:40, 古書赤いドリル, -

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救世主

 先月、一瞬でも「今年のカープは強いかも」なんて浮かれていた自分を自己批判します。早くも最下位横浜に脅かされる位置に。吉村や筒香といった長距離砲がいる横浜のほうがこの先分がいい気がする。マエケン、野村といった若い右腕に新星堂林の台頭と未来のカープの礎の一年になるかもしれないとはいえ、2012年もやはり定位置争いなのか。野球で凹んだ気持ちは野球でしか回復できない、亜大が強い。ついに東浜にとって鬼門の東洋に完封勝利、九里も完封。勝ち点3で来週の優勝も視野に。あの華々しい東浜のデビューの年、東洋の強打線に捉えられて以来、何故か対東洋には勝てなかった東浜だが、これでスッキリ上に行けるのではないか。亜大の春季の優勝は何年ぶりだろう?調べたら平成15年の春が最後だった。9年ぶりということになる。青学と東洋の黄金時代に阻まれ続けてきたけれど、東浜のラストイヤーにやっと間に合ったと言っていいだろうか。気が早いか。何があるか分からないし。


 東浜は東都通算20完封という前代未聞前人未到の大記録を既にこの春に樹立してしまった。忘れもしないデビュー戦、現巨人の澤村と延長10回を投げ合い完封。そこから数々の完封劇を演じてきた。1年時はちょくちょく150キロ台ストレートも垣間見えたが、最近はそうでもないらしい。東浜は、タイプ的には佑ちゃんである。斎藤佑樹の類希なハートに、ダルビッシュの変化球の精度が加わったようなピッチャーであると思う。勿論ダルビッシュにはまだまだ及ばないまでも、その可能性を秘めている。斎藤佑樹の凄さは、その精神のコントロールだろう。特別な球速はなく、制球力もまだまだ、投球フォームもまだ安定しない、それでもプロで勝つ。そんな投手はそうそういない。ピンチでも投げ急がない、四球でランナーを貯めても後続をきっちり断てる、すべては「追い込まれない」タフな精神力だ。どうやら投手にとっては精神面がかなり大事らしい。あのダルビッシュでさえ言っていた。メジャーデビュー戦は、気持ちがはやって投球フォームを崩したと。高校2年の神宮大会以降長年観てきたけれど、とにかくゲームメイクに関しては他に秀でるものはいないのではないか。佑ちゃんノックアウトの場面など殆ど記憶にない。1回だけ法政に4回ノックアウト降板はあったか。でもたった1回である。アマチュアの世界では「スター」しか見ない素人ファンにとって「華がある」ように見えた斎藤佑樹であるが、華のある投手が多いプロの世界ではとりたてて「凄いボール」がない佑ちゃんは埋没してしまう。注目度は落ちるだろうが、勝ち星は積み上げそうだ。東浜がプロ入りすれば、若い好右腕がまさに百花繚乱ということになりそうだ。巨人の宮國、横浜の国吉なども面白いし、ダルビッシュ不在でも投手のスター候補生には事欠かない。事欠かないのに、ニュース映像で見る球場はいつもガラガラだ。ぼくも足を運ばない一人だから偉そうなことは言えない。バッターのスターが育たないからなのか、チケット代が高すぎるのか。ぼくにもいつかビールを飲みながらナイター観戦できる日が来るだろうか。

at 07:29, 古書赤いドリル, -

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血とサラ

 久々に新刊漫画を買って読んだ。先週、王様のブランチで紹介されていた『ママゴト』という漫画。何気なく聴いていたら、おっこれはプロレタリア漫画かもしれないという直感で即amazon。松田洋子に関する知識は遥か昔SPA!で連載していて、SPA!で連載される漫画は大抵ブレイクするのだけどまったくその気配なく短期間で終了したという幽かなものだ。その『ママゴト』、思った以上にメルヘンで想像していたのとは違ったけれど、これはこれでいいかもしれない。5歳の男の子がいい子過ぎたり、風俗嬢からスナック経営の主人公がこの手の漫画では典型的ともいえる「一見蓮っ葉根は純情」的な女性だったり、「地べたを這いずり回る」感は弱いのだが、漫画だからと許せる範囲。ウチの長男も5歳だが、5歳はもっともっと面倒でずる賢い。ウチの子だけかな。


 三池監督の新作は『愛と誠』らしい。予告篇を観た限りでは、これまた久しぶりに期待出来る三池作品の予感。かつて熱狂的な三池信者だったぼくも『ゼブラーマン』以降は殆ど観てないので、三池作品について語る資格は持たないが、予告篇から想像するに『カタクリ家の幸福』路線だろうか。で、ちょっと前に買った山の中に何故か『愛と誠』全16巻が都合良く入っていたので初めて読んでみたのである。ぼくが「少年マガジン」を読みはじめたのは1980年前後。忘れもしない『1・2の三四郎』の連載が始まった頃。小林まことのサイン会に出かけたことをいま思い出した。人生初のサイン会だった、あれが。『愛と誠』の16巻の発売日は1976年であるから、この人気漫画の連載が終了した後に、ぼくは「少年マガジン」の読者になったのだ。よって、テレビドラマの再放送などで登場人物の名前くらいは知っていたけれど、ほぼ真っ白な状態で全巻読破を楽しむことができた。この漫画が何故受けたのか知らないが、いま読んでも充分面白い。というか、今こそ面白いかもしれないと思った。多くの少年漫画同様、この『愛と誠』も後半明らかに失速する。登場人物が続々と「いい人」になって行くあたり。「いい人」化が進むときは、その漫画がピークを越えてしまった証し。仕舞いには主人公太賀誠が汚職事件の犯人逮捕に暗躍するなどふつうの少年漫画のヒーローに堕すにいたっては、所詮は梶原一騎だからと納得するしかない。ちょっと気になったのは「少年サンデー」で連載していた『男組』との類似性である。最初からヒーロー然としている『男組』の流全次郎と、早乙女愛の一途な愛を踏みにじり続けるヒール全開太賀誠ではまるで正反対。流は父親殺しという謎の過去があり、太賀は眉間の傷と両親の離婚による人格の破綻(のふり?)というダークネスな部分があり、比較してみると「正反対」でもない。少年漫画とはいえ「スネにキズ持つヒーロー」待望論が時代背景としてあったのではないかとの想像も可能だ。最初から権力闘争が主題の『男組』は『愛と誠』より1年遅れて1974年に連載開始。一私立高校の覇権争いがやがて日本を支配する黒幕との内戦に発展する点、最終回では「ワルシャワ労働歌」が引用されていたりと、政治色が強いのは『男組』。それに対して『愛と誠』はあくまでも早乙女愛の恋愛譚、早乙女は太賀誠を改悛できるかが主旋律だったはずなのに、主要登場人物の親がたまたまなのか国政を揺るがす疑獄事件に絡んでいる所為で、ロッキード事件もどきがそのまま漫画の中で展開する羽目に。読者の欲求なのか編集者の色気なのかそこはよくわからないけれど、1970年代にはまだ「敵」らしい「敵」も絶対悪の「黒幕」も健在だったのだ。


 ところで、ぼくは『男組』は小学生の頃からの愛読書で、昔は年に一・二回は読み返していたのであるが、好きな登場人物は朽木。冷酷非常の朽木が神竜のために犠牲になるシーンは何度読んでも泣いたものである。そういえば雁屋哲の代表作である『美味しんぼ』も、父子の骨肉の争いが主題であった。その原型は『男組』における神竜対影の総理…。血で血を洗う対決が、皿と皿の対決になったとはいえ。

at 15:00, 古書赤いドリル, -

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雪解け

 気づけば五月である。ゴールデンウィーク中、店内の大清掃に勤しむ。おかげで徐々にあらわになる床たちと久々の対面。テトリスのように積み上げられた本の束から「均一本」を抽出し、ひたすら均一の塊を作って縛りあげ、新たに借りた倉庫に運び込むという作業を繰り返した。野球で言えば外野の芝の草むしりってところだろうか。草むしりと、新たに設置した立体駐車場のような簡易棚により、見違えるようにスッキリしつつある。雪解けの季節と相俟って、全面開通の日は近い。


入口からはこんな。



入口からの別アングル。


カウンターより開通間近のモンケーンライン。

 雪解けのこの時期、怖いのは雪崩である。小さな雪崩は頻発しているが、除雪作業も半分くらいまで来たと思う。最もきれいに片付けたところで何になるってわけでもなく、ちょっとした達成感を味わってそれだけのことだ。虚しい…。五月病か?

at 07:16, 古書赤いドリル, -

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吉本隆明を追悼する言葉たち

 吉本隆明が死んで1ヶ月あまり、続々と発表される追悼文の殆どを見逃しているはずだが、目にしたほんの一握りの追悼文に心揺さぶられる。糸井重里と高橋源一郎、ふたりの文章には、吉本の成した偉業を評価するという以上に、まるで肉親を失ったような悲しみと尽きぬ愛情が滲み出ていた。

「吉本さんのいない世界に生きていることを、ぼくはさんざん練習してきましたから、平気です。(中略)思っていたのと全然ちがって、ずいぶん悲しいです」という糸井重里のことばと、吉本への感情を「初恋」になぞらえ「吉本さんが亡くなり、ぼくたちは、ほんとうにひとりになったのだ」と纏める高橋源一郎のことばには特に。ふたりに共通しているのはごく初期にその仕事を高く評価してもらったこと、ぼくの敬愛する遠藤ミチロウなんかもそんなひとりで、当時世間からは「色物」扱いでしかなかったミチロウのその仕事を真っ当に評価したひとりは吉本隆明だった。いま思い出しているのは、『ダイ・ハード』と『ベルリン・天使の詩』(だったと思う)を評して、「映画としては『ダイ・ハード』が上だ」みたいなことを吉本が言っていて目から鱗が落ちたこと。商業映画も芸術?映画も同じ土俵で語るそのスタンスというか立ち位置に影響を受けた。あれは椎名誠の『哀愁の町に霧が降るのだ』であったか、吉本に褒められた喜びを椎名誠が仲間に語るシーンはいつまでも記憶に残る。椎名誠を太宰治と並列で語るような荒技がまさに真骨頂か。その著作もたくさん買った割に読み通したものは殆どなく、いうなれば会釈程度の関係ではあったけれど、根っこの部分では結構影響されたかもしれないなあといま反芻している。

 いくつかの追悼文で散見したのは、その巨人が遺した足跡を讃えつつむしろ自分が遭遇した吉本隆明の「生活者」としての愛すべきエピソードを語っているもの。巨峰のように聳え立つ偉業とその人柄とのギャップは、市井の人で在り続けた吉本の「凄み」を端的に伝えるからだろう。

 古本業界からは石神井書林さんの図書新聞における連載『古書肆の眼』がいつも通りのキレのある文章でゾクゾクする。「戦前の吉本隆明ー入札会に出た吉本隆明の古書から」によると、吉本が若かりし頃参加していた同人誌『我楽路』が市場に出たことがあったという。初めて耳にしたその同人誌のことが書かれているという川端要壽の『堕ちよ!さらば』をぼくはめくった。たまたま店頭に飾っていたのだ。なるほどそれによると昭和16年頃にたった43部だけ刷られたものらしい。しかも川端氏によれば、その川端氏が所有していたたった1部もある事情によって吉本隆明の詩篇2作が切り取られているという、それが市場に出たのだろうか。川端氏が神田の古本屋に『我楽路』を「叩き売」ってから、石神井さんが落札するまでまたかなりの年月が流れている。人の手から人の手に渡る中継所のような役割を、古本屋が担っているということをあらためて知る。古本屋は狂言回しか演出家か。川端氏の『堕ちよ!さらば』はそれくらい面白かった。無名のガリ刷りの同人誌を古本屋に売っ払うことによって転換した人生を川端氏はその著書の中で振り返っていたのだ。

at 12:20, 古書赤いドリル, -

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赤いカブ

 いままで気づかなかった音に気づくときがある。古本屋になってはじめて、郵便屋さんのカブの「ドッドッドッ」というエンジン音が他のどのカブともバイクとも違うことに気づいた。サラリーマン時代には思いもよらなかった。そう、展覧会に参加させてもらうようになり、目録注文の葉書を待つ身になってはじめて、その音の違いを知るようになる。夕方四時過ぎ、下北沢の路地の奥から響く赤いカブのエンジン音に気づいたぼくは、届けられる数枚の葉書や、ときに組合の請求書だけだったり或は素通りする郵便屋さんに、一喜一憂する日々。それが展覧会の会期前の日常。先週、赤いカブを待ちながら、ヤニと埃でまっくろの本たちと格闘する日々を経て、2日間の会期を終え、目録品の発送作業に一日を費やし、さあ来月の遊古会の目録にとりかかるぞ…


 ちょっとその前にと楽しんだのは、月の輪さんから貰った昭和59年発行の中央線支部報である。これが実に面白い、一冊まるごと出久根達郎さん責任編集なのだ。「古本屋不況」を考える、という特集テーマでなんと7つもの古本屋座談会から構成されていてそのすべての司会を出久根さんがつとめている。「ムダ話で売る古本屋」では店売りについて、「チラシは楽し」では自家目録をテーマに、他にも即売展の現況を語ったり、二世座談会があり、古本屋一年生座談会があったりと盛りだくさん。示唆に富んだ発言の数々は勉強になる。時代はビニ本がそろそろ売れなくなってきた頃らしい。「そのうち古本屋もビデオを扱うようになるんじゃないか」という誰かの発言からして、まさにAV全盛時代の前夜、本橋信宏さんの『裏本時代』の頃だ。古本屋の店頭にこそメディアの変遷が顕われている。


 出久根さんのあとがきに、

 もうひとつ、ひそかに考えていた案に「聞き書き古本屋昭和史」というのがあった。昭和の十年代二十年代三十年代と十年ごと区切ってその当時起った事件と古本屋としてのかかわりを語っていただく。六十年安保の国会突入で樺美智子が死んだ翌日何軒かの古本屋が政府に抗議して店を閉めた、その事実があったわけです。微小の古本屋といえども大きな歴史の一端にかかわっている、


 機関支部報でやり残したことを出久根さんはその後自著の中で「小説」という形ではあるけれど切り取って見せてくれた。出久根さんの数ある小説のなかでも、1960年6月15日と16日を描くそれは大好きな掌編だし、詩吟が好きだという学生の客がいつか飛行機をハイジャックして北朝鮮に飛んで行ってしまったという話にも心躍った。そして、考えてみれば出久根さんの小説の多くが「古本屋」の店頭から見た「昭和史」の断片になっていることに今更気づくのである。


 出久根さんは永田洋子のひとつ上、1944年生まれだから森恒夫と同い年ということになる。森恒夫の自己批判文『銃撃戦と粛清』を編集したのも出久根さんの『古本綺譚』を編集したのも高沢皓司氏であり、先述の、北朝鮮で客死した「詩吟の好きな学生」の最後のインタビューもやはり高沢皓司氏の手によるものではなかったか。ちなみに出久根さんが独立したのは1973年、その年の元旦に森恒夫は東京拘置所で自殺している。


 

at 02:37, 古書赤いドリル, -

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赤い月

 pac3の大騒ぎも尻窄み、ダルビッシュも快投には程遠く、カープの貧打戦は最早絶望的、冴えたニュースのない中で、せめてもの救いは今週末の「本の散歩展」くらいか。その出荷準備に追われる。が、その作業とは、店内に文字通り足の踏み場もなく積まれた、往時のドンキホーテよりもカオスな店内の片隅で、先週の大市で落札した荷をほどき、一冊一冊「売れますように」と祈りを込めながら埃まみれのカバーを拭き、たまに付いてる孵化しなかったゴキブリの卵を摘出し、赤い値札を貼っていくという、あまりにも地道で爽快感とは無縁の、孤独な営為である。


 最近のトピックスといえば、下北沢のケンタッキー跡地に「東京チカラめし」というガッツリ系ブームに乗っかった焼き牛丼チェーン店がオープンしたことくらいだろうか。


 北朝鮮の人工衛星は瓦解したそうだが、その昔、ソ連のスプートニクのときは大変な祭りだったのだな、人工衛星と弾道ミサイルとは表裏一体で成長したきたということを、古い週刊朝日の記事で確認する。



 赤い月ならぬ、今の赤いドリルはこんな感じです。


 店内に入るのにいちいち本を動かさないと入れません。奥に辿り着くまでに10分かかる。ちょっとしたブックオフより体感的には広い。

at 07:41, 古書赤いドリル, -

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