千載一遇のチャンス到来!

 何処かで聞いたことのある名前だな、と思っていた。西武の森友哉をすぐに連想してしまうのだったが、あの!塚本幼稚園の母体と知って、これヤバいじゃん!と興奮した。ついに千載一遇のチャンスが来たかもしれない。菅野完のその著作で塚本幼稚園のことを知り、その後、東京新聞の記事などでもそのヤバさがたびたび伝えられてきた塚本幼稚園の母体が「安倍晋三記念小学校」を作ろうとしていたとわかればあらゆることに合点が行く。安倍はもちろんのこと「武力衝突」の稲田はじめその周辺にはうじゃうじゃと政治家が蠢いている。このチャンスをものにできなかったら野党を名乗る意味はない。今週のSPA!はいつも以上に待ち遠しく、案の定菅野さんのコラムはそのネタにも触れているし、それだけじゃない。モノクロでも塚本幼稚園をプチ特輯。菅野さんが書いているように、国有地払い下げという問題以上に、レイシスト学園を安倍総理夫妻や防衛大臣が支援していることの重大さ、レイシスト学園の教育理念を掘り下げなければ「事の重大さ」には辿り着かない。というか、その尻尾を逃しかねない。この国の総理、この期に及んで尚支持率をプチ上げてしまうプチモンスター総理の「綻び」をなりふり構わずつつき回して欲しい。 「辻元 頑張れ」。 塚本幼稚園の運動会の宣誓文風に締めてみた。今週のSPA!、2月28日号の菅野さんの記事を是非読んでもらいたい。そのヤバさをみんなで分かち合いたい。そんな気分だ。

at 07:05, 古書赤いドリル, -

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春闘

 いよいよ本格的に即売会シーズン開幕です。本年2回目の五反田遊古会を終え、ここから確変。今週末の2月3日4日は窓展@神田。翌週11日12日杉展@高円寺、ここまで3連チャン。1週空いて、2月25日26日好書会@高円寺。1週空いて、3月11日12日愛好会@高円寺、翌週17日18日紙魚の会@神田。1週空いて、ここからがキツイ、3月31日4月1日五反田遊古会、翌7日8日窓展@神田、翌14日15日散歩展@五反田、翌22日23日好書会@高円寺、翌28日29日城北展@神田…5連チャン。  

 

 

 即売会が続くとネット作業に皺寄せが来てしまうのが痛い。即売会は経費も高いし、搬入搬出も含めれば拘束時間も長い。催事に比べれば会館展は短い。よって会館展以外はやらないことにしているが、それでも3日間は奪われる。即売会の準備期間を換算すれば3日間じゃきかない。それでもやめがたいのは即売会の楽しさだろう。残念ながら、結構楽しい。即売会だけで食っていければかり楽しいんじゃないか、古本屋は。いまでも充分楽しいけれど、即売会オンリーだったら、まるで遠藤ミチロウのよう。ミチロウはあるとき「ライブだけで食えるか」と、ギター1本どさ回りの歌手になった。ときたまCDは出すにしても、還暦前後の頃ですら月に10本くらいのライブをこなしていた気がする。いまは知らない。喫茶店のようなところでも唄うミチロウ。ライブを終えてビジネスホテルで即席ラーメンを食うミチロウのイメージにぼくは大いに感化された、昔のことだけど。即売会は「ライブ」、そういう意味ではぼくにとっての2月3月4月は春の都内3ヶ所巡回「ツアー」。「春闘」である。「ライブ」だけでは食っていけないけれど、ガンガン「新曲(新ネタ)」投入して「ツアー」を乗り切らねばならない。先は長い。

at 10:15, 古書赤いドリル, -

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2016年

 2016年はずっと仕事していたような、仕事しているうちに終っていたような、そんな年だった。カープの優勝、トランプの大統領選勝利がもたらすもの、原発避難者いじめ。何よりも、相模原の障害者大量殺人に捉われた。  

 

 自分はこの国の役に立ちます、と時の政権に手紙を送り「役に立たない」と思われる重度障害者を殺す。誰の「役に立たない」のか?そもそも誰かの「役に立つ」必要があるのか?犯人がそれほどまでにこの国の「役に立ちたい」と願ったのは何故か?  

 

 昨日、トランプが大統領に就任。独逸ではヨーロッパの右派軍団が集会を開いたらしい。もしかしたら、こういった潮流のきっかけを作ったのは安倍かもしれないな、と思った。最もうまくやってるのは安倍かもしれない。これほどくみしやすい国民が他国にいるだろうか。沖縄にオスプレイが落下しようが、高江や辺野古で収奪が行われようが、SMAPの解散は受け入れられないと署名する人たちが何十万人もいたり、その解散をワイドショーの芸能ネタとしてではなく、ふつうのニュースの枠で「辺野古」や「カジノ法案」と同列に伝えるこの国ほど「楽勝」な国はほかに、きっとない。  

 

 原発避難者いじめの発覚は、「絆」とか「日本を元気に」とか、そういった薄っぺらいことばの「嘘」に、無意識のうちにストレスや違和感をおぼえていたこどもたちの「反乱」だろう。美化され続ける日本の「国風」に抗い、原発避難者へのいじめ、避難者からの「搾取」という事実を認める訳にはいかなかった学校側の「隠蔽」…。これ以上に日本的な、日本らしい、日本人ならでは、の事件はない。これぞニッポンだ。これがニッポンだ。原発事故後に発覚している無数の課題を放置したまま再稼働を推進するこの国ならではだ。東芝の原発事業の損失問題ほど愉快な話はない。日本では原発の安全対策のコストを安く見積もっているから、原発は「儲る」事業だった。だから、利益率の低い白モノ家電に見切りをつけてウェスチングハウス買収という高い買い物をしたのだろうけど。  

 

 2016年、最も面白かったドキュメンタリーは『ETV特集』の「わたしのCasa」。静岡の田圃の真ん中に置き去りにされたような団地に寄せ集められた日系南米人と高齢者。中学を卒業して臨時工などで食いつなぐ若者の夢はヒップホップの世界でのしあがること。若者の母親のおじいさんは沖縄出身。ソテツ地獄から逃れてペルーに渡る。やがて、その地で大東亜戦争の影響で弾圧や差別に苦しむ。祖父はこどもたちをペルーに残したまま死ぬ間際、沖縄にかえる。沖縄には祖父のもうひとつの家族があった。虐げられた人たちの流転。まるで水族館劇場の芝居を観ているようなこのドキュメンタリーは、2016年観たテレビ番組のなかで最も激しく揺さぶられた。ラスト、田圃のまんなかの団地に帰ってゆく日系ペルー人母子。その絵と、移民排斥を訴えるいまの時代の「空気」を重ね合わせてみる。  

 

 ドラマでは『闇金ウシジマくんシーズン3』。尼崎を思わせるような洗脳事件を。映画は『闇金ウシジマくんファイナル』。こちらは貧困ビジネスを。『闇金ウシジマくん』で描かれる貧困ビジネスは強烈である。映画『〜ファイナル』のラスト近くのやべきょうすけのせりふに泣いた。山田孝之至上主義。新年早々、またすごいのがはじまった。『山田孝之のカンヌ映画祭』。『赤羽』につづいて、これも狂ったドラマである。こんな連続ドラマをテレビでやってくれるなんて、蛭子さんと太川さんのローカル路線バスが終っても、やっぱり今年もテレ東だ。

at 08:37, 古書赤いドリル, -

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空のゴミバケツ

 10年ぶりに『山谷 やられたらやりかえせ』を観た。いつも云っていることだが、1本の映画の製作に携わったふたりの監督が殺されている映画など世界中探してもそうそうないだろう。美男美女がまったく出ない、登場人物のせりふが聴き取りづらい、音楽がいい。初めて観たときの印象のままだ。冒頭はほんとうにかっこいい。暴動を扱った映画は少なくないが、これは格が違う、投げつけられる空のゴミバケツにほんものの暴動の迫力が匂う。臭う。  

 

 

 夏祭りのシーン、公園の片隅に設けられた祭壇に三つの遺影。船本洲治、佐藤満夫、デカパン。激しい音楽が奏でられるステージに背を向けて焼香する男の背中をえらく長く写し続ける。そのアンバランスさに素人監督の凄みを見出す。追悼、あらためて思った。追悼の映画だ、と。シューベルトの冬の旅が荘厳に流れはじめる場面がある。佐藤監督虐殺弾劾集会のシーンだったか。ひんやりとした冬の空気と静かな悲しみが伝わる。追悼されるのは佐藤監督だけではなく、日本の近代化の過程で犠牲となった朝鮮人や労働者など、搾取されてきたすべての誰か、である。  

 

 

 終映後、水族館劇場の千代次さんのトークライブがあった。千代次さんがポロっと語った映画の印象、「団交で経営者を追いつめる争議団のひとたちより、吊るし上げられて言葉を詰まらせている経営者たちのほうが面白い」と。よくわかる。確かに、ど迫力の争議団に囲まれオドオドしているケタオチ業者は「そんなに悪いやつじゃないんだろうなあ、下請け業者に過ぎないこのひとたちもどっちかというと弱者かもしれないなー」と同情を覚えたり…。千代次さんの指摘に対して、映画にも登場している当時の支援者たちの何人かがコメントした。紋切り型の追及しか出来なかったところに運動の限界があった、と潔く振り返る人。この映画が映し出しているのは運動の限界だったと当時から思っていた、と、悔恨と共にこの映画を見守って来たことを明かしてくれていた人。また、別の活動家は、その場面だけ切り取られたら「面白くない」ように見えるかもしれないが、団交に至った過程を想像せよ、と反論した。寿町の支援をしている若い人は、寄せ場の「いま」を語っていたが、それはあまりにもまっとう過ぎて、むしろ千代次さんの指摘した「政治言語の退屈さ」を図らずも露呈してしまっていたように思えた。  

 

 

 千代次さんは、玉三郎さんの回想を通して、政治的対立を乗り越える力が芸能にはある、ということを云いたかったのだと思う。決して寄せ場の活動家を貶める意図などない発言だったと思う。  

 

 

 ぼくが連赤にはまったきっかけを作ったひとつが、植垣さんの本にある「赤ちょうちん」の場面。M作戦のアジトを探していた植垣さんが駅のホームから見えた赤提灯にひかれて居酒屋に入る場面。その人間くささが入口となった。  

 

 

 最近のネットニュース。女性タレントが左翼バッシング本を青林堂から出した。東京堂書店でサイン会をやろうとしたが、書店に抗議が来たとかで中止になったという。右翼は「表現の自由を奪う行為」と怒っているが、むしろこれは右翼の得意な手法である。かつて、長井勝一さんが作ったレジェンド出版社・青林堂もいまとなってはヘイト本専門出版社で、そんな出版社の本を東京堂書店でサイン会までやって売ろうとする、かつては青林堂の変貌ぶりに驚いたけど、東京堂書店も(店内のレイアウトだけでなく)変わったんだなあと再確認。ただ、そんなものに、タレントのサイン会ごときにめくじらを立てる必要はなかった。そのタレントは脱原発運動に参加して左翼(新左翼活動家?読んでないから詳細は不明)に幻滅したという。そういう人は少なくない。下北沢の店舗によく来てくれていた活動家のお客さんも経産省前のテントを支えていたひとりだったが、新左翼ゴリゴリのセクショナリズムを持ち込もうとするオールドスクールな活動家の振る舞いには閉口していた。同じ活動家でもそうなのだから、いわんや素人のタレントにしてみれば相当きつかったろう。 それにしても、そこから「愛国」まで行っちゃう?「反動」って凄い。反動愛国。

 

 

 連赤の総括では個人の欲望が否定され、糾弾された。お洒落をしたいという欲望も自分のこどもを育てたいという希望すらも総括の対象になりえた。教条主義的な紋切り型の政治言語を乗り越えるのはやはり個々の欲望なのだと思う。下請け業者のちっぽけな欲望から滲み出る人間くささが政治的紋切り型よりも時に魅力的なのはそういうことなのだろう。

at 17:59, 古書赤いドリル, -

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馬淵さーん!

 ひと晩寝て吹っ切れた。冷静になった。よくよく考えれば今年どれだけカープの勝利に喜んだか。喜んだ回数に比べればたかだか四つの負けくらいなんてことない、ここ20數年の敗北の歴史を振り返れば尚更。逆転のカープがさいご逆転されるカープで終ったのは残念だったが、昨夜の8回表もジャクソンンを替えてくれーとテレビの向こうでずっと叫んでいてその願いは叶わぬまま6点取られたが、これが木内さんが監督だったら勝ってたなーとかいろいろ不満は残ったけれど、もう忘れよう。栗山さんと緒方監督、まるで好対照で面白かった。栗山さんとは1 度だけエレベータで一緒になったことがある。毎年夏の甲子園に通っていた頃、その頃は甲子園のすぐ傍にある都ホテル甲子園にいつも泊っていて恐らく栗山さんもそこに宿泊していたのだろう、熱闘甲子園の司会をやる前だったかな。栗山采配、その積極性の前に負けた。第5戦で加藤を素早く引っ込めてメンドーサのロングリリーフ、昨夜は増井に早々に代打。細かい継投。キャッチャーも大野と市川のふたりを上手に使い分けていた。昨夜、一発出ればという場面で会澤がバッターボックスに立ったがシリーズ初打席で結果は見逃し三振。石原のリードはもちろん肝ではあるけれど、石原はこのシリーズ1本もヒットを打てないまま終った。大瀬良、一岡、福井。特に福井には5回戦の先発をして欲しかった。菊池はずっと本調子じゃなかったように思う。何処か怪我をしていたのだろう。3回戦以降すべて終盤にやられていたからこそ、昨夜は手を打ちやすかったはず。今年一年セットアッパーとして大活躍したジャクソンを信じたいのはわかるが、6連投だったし…、いや、もう忘れた。  

 

 

 それより今日の四国大会決勝が気になっている、今年の夏の準決勝、作新学院に10対2で敗れて甲子園を去るときの馬淵監督の言葉を覚えているだろうか。「センバツで優勝しますよ。みとってください」。こんな捨て科白で甲子園を去った監督がかつていたか?甲子園ベスト4まで行って新チームの始動が大きく出遅れていることを承知のビッグマウス。しかし、本当にセンバツを確定させてしまった。今日勝てば来月神宮で馬淵さんに会える。楽しみだなあ。今日勝てば、だけど。  

 

 

 今年いちねん、カープのおかげで夜が楽しかった。家にいたときはすべて観戦した。来年の開幕まで半年間のさよならだ。…8月7日の試合、あとで録画を観て余韻に浸るか…。エア優勝気分を味わって今年のカープ納めだ。

at 07:17, 古書赤いドリル, -

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悪い予感しかない

 黒田が引退を発表したとき、イヤな予感がした。86年の日本シリーズを思い出したのである。あの年は山本浩二が引退を発表して迎えた日本シリーズで、西武には1年目で大活躍した清原がおり、「世代交代」というキーワードでマスコミが必要以上に煽り、津田が完璧なピッチングをしていたのに工藤にサヨナラヒットを打たれたところから潮目が変わり、あの秋山のバク転を生んだ。秋山にバク転されたときのみじめな気持ちをカープファンは何処かで引き摺っている。戦前の予想を覆し、カープの3勝1分、もう優勝間違いないかというところからの4連敗。黒田のシリーズを引退の花道とする発表は、86年の悪夢の再現をどうしても予感させた。浩二の悪夢から黒田の悪夢へ、悪夢の輪廻転生か?で、昨夜。抑えの中崎が打たれみじめな敗北を喫した。2回の無死2・3塁で無得点、丸の本塁送球がずれて犠牲フライを許したり、メンドーサに手も足も出なかったり、石原に固執して9回表のチャンスを活かせなかったり…ストレスの溜まる試合を見せられたあと、昏いきもちになった。ファンとは、勝手に喜び勝手に凹み好き勝手に文句をいい一方的に崇拝し…恐ろしく我が儘である。  

 

 

 ここのところ、NHKをはじめとして「何故カープを応援するのか?」みたいな特番をいくつか見たがぜんぶピンと来なかった。「逆境に負けない新井選手から勇気を貰って云々」「若手選手を我が子のように思い…云々」。それ、カープじゃなきゃいけない理由まったくないよね?逆境を跳ね返している選手なんかいくらでもいるでしょう。新井に限ったことじゃないし。プロになってる時点でどんな選手も既に「無名」ではないし。結局、ファンになってしまうきもちなんか人それぞれでそこに大した理由なんかない。育成のカープというけれど、ここ数年こそ花開いたが一時はドラフト戦略に失敗し続けていた。育成のカープというよりは、生え抜きの選手を大事にするカープであり、外国人選手の獲得が上手なカープと言い換えたほうがよい。すべてのチームにファンにしか見えないよさがあるわけで、それはなかなか他人に説明するのが難しい。勝ったときは気分がいい、勇気なんか貰わない。負けたときはドヨーンとして、勇気はもちろん貰わない。

 

 

 日本シリーズは感情移入しないように淡々と観ようと思い、仕事しながらチラチラと観ているのだが、負けたときのショックは変わらないことに気づく。当たり前だ。  

 

 

 みんないい試合だとコメントしているけれど、ぼくからすればちっともいい試合じゃない。少なくともぼくにとっては、8対1とか10対3とか「圧勝」こそがナイスゲーム。小窪や下水流がバカスカ打って大谷や中田がクルクル三振して、そんな試合しか求めてない。その我が儘さこそがファンである。ファンとは最悪な存在なのだ。

at 07:44, 古書赤いドリル, -

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レガシー

 少し前の「バリバラ」でエクスプロージョンfeat.あそどっくが差別解消法を歌にして踊っていて、これがあまりにも素晴らしくこどもたちにも見せたら案の定大喜び。ヘビロテ。その歌詞の一部に「差別〜」「昭和かい!」とある。差別は昭和の遺物(レガシーか!?)と断罪しているのだ。いまはそんな時代じゃないよ、と敢えて突き放してみせたいい歌詞だと思う。そんな矢先の「土人」騒動。いろいろ考えてみる。いま「土人」って使う?24歳(だったか?)の若者が咄嗟につかう言葉かな、「土人」。誰かを侮辱しようとするときに「土人」と罵るのか、いまどきの若者は。確かにウチのオヤジ(世代)はやたらと「土人」を連発していたが、ぼく自身は誰かに対して「土人」と罵ったことはないように思う。ちなみにもうひとりの巡査長だったか、この彼も20代なのだけど、彼は何故か「支那人」と罵っているらしい。益々不思議。中国人がその場にいたの?たぶんいない。恐らく、国策に反対している人間=反日=支那人という連想から生まれた沖縄(人)への罵言だろう。東京新聞の中川淳一郎氏のコラムを読んで、ネット上では「沖縄土人」という言葉があるのを知った。48歳のぼくでさえピンと来ない「土人」を20代の若者が流暢に使いこなせるのはそんなわけか。松井知事や百田が「反対派のやつらのほうが悪い言葉を使っている」と「土人」発言の若者をかばっていた。これも面白い、ていうか、失笑。こどもの喧嘩みたい。自分たちの擁護がいかに幼稚かということにも気づけなくなっている。沖縄の人間、或は沖縄の反対闘争を支援しているヤマトンチューたちの「反対」の聲に潜む真情や歴史への想像力、謙虚さがない。「強行採決」という隠し球を見せびらかす自民党議員と同様に。どうなってるんだ、こいつらは。どこに行こうとしているのだろう、こいつらは。  

 

 

 相模原の事件以来、益々絶望が深くなっている。

at 07:53, 古書赤いドリル, -

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逆旅

 野戦之月の公演を観に行く。南武線の矢川という駅から徒歩4分の公園。こじんまりとした可愛い駅だった。テントの受付で整理券貰ってベンチで本を読んでいると石神井書林さんがあらわれた。石神井さんも今日だったんですね、声を掛ける。千秋楽ということもありかなりお客さんは入っていた。タイトルは『渾沌にんぶち』。

 

 

 あたかも「長編詩」のような、詩的すぎるアジテーションのような科白が舞台に溢れ受け止める側のキャパシティを軽々と超えてしまう。いま、ひとつひとつを思い出したいけれど、断片しか甦らないのが悔しい。    

 

 

 「逆旅」。

 

 【天地はあらゆるものが出入りする宿屋のようなものである。天地は悠久であるが,人はここに仮住まいしているはかない存在である】ということらしい。 難民、流民。それは水のようなものであり、誰かが拒んだり追い出したりできるものではない。この「場所」は「逆旅」であり、まだ見ぬ「広場(=逆旅)」が何処かにあるのかもしれない。

 

 

 ラストシーン。広場を目指す「流民」たち。桜井大造は「30年ぶり」に「遺品」である黄色い頭陀袋の「重し」を下ろす。俳優たちが朗々と謳う中央で、後ろ向きの桜井大造は黄色い頭陀袋を逆さまにしている。大量の砂が零れ落ちている。山岡強一が遺した何かを「重し」として掲げていたけれど30年経っていったんそれを下ろしたということか。「広場」を目指す新たな旅がはじまるということなのか。なんというか、特別な「物語」があるわけでもないのに、その圧倒的な終幕の場面に強制的に泪が零れ落ちる。あぶない。

 

 

 終演後、近くの居酒屋で石神井さんと呑む。曲馬館、水族館劇場、野戦之月、アングラについて、古本屋のことなど。特別な夜になった。

 

 

 石神井さんとふたり、駅のベンチに腰掛けて帰りの南武線を待っていると、駅前のスナックから酔客のものと思しき歌声が漏れ聞えてきた。ここは何処だ?ぼくは何処にいるのだっけ?唐突にそんな疑問が首をもたげる。

 

 

at 08:18, 古書赤いドリル, -

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続き

「あの夏」から10年目の今年の決勝戦は、まるで中村計さんの『勝ち過ぎた監督』の出版を祝う様な、不思議な因縁に彩られたカードになった。駒大苫小牧以来10年ぶり決勝進出、南北海道代表北海高校。勝てば香田監督に並ぶ最年少優勝監督となる33歳小針監督率いる作新学院。手前味噌ではあるが2011年以来、近い将来優勝するだろうと、毎年私的優勝候補に挙げてきた作新学院がついに決勝戦まで辿り着いたと感慨ひとしお。対する北海高校は不思議なチームだった。拙攻、エラー連発、立ち上がりがいつも危なっかしいエース大西…。終ってみれば勝っている。つまり実力があるのだ。好投手だらけで話題にのぼるのは「顔」ばかりの大西だが、ストレートは140キロ、キレのいいスライダー、クレバーなピッチングと投手偏差値はかなり高い。変な喩えだが、大西君だけプロ野球のローテションピッチャーのように、いい意味で淡々と投げていた。150キロ出して注目集めようとか、この打者を絶対打ち取ってやる!!とか、そういった余計な「力み」がないというか…。味方はかなりエラーを連発するのだが、エラーのビフォアアフターのピッチングがあまり変わらない。聖光学院戦も秀岳館戦も味方が致命的なミスをしているのに勝った。何よりも心がタフなピッチャーだった。で、決勝戦。作新学院がいつも通りの攻撃的な野球で優勝。北海高校はずっと「タイムリーファインプレー」とも云うべき「強運」で勝ち上がった。聖光学院戦も秀岳館戦も「ここで打たれたらヤバい」と云うピンチを信じられない様なファインプレーで切り抜けた。思い切りのいい守備が「売り」の北海だったが、ノーアウト満塁で決定的なミス。審判のジャッジは確かに怪しい。しかし、ミスが出たときに必ず「火消し」してきた大西君の心が遂に折れた…ように見えた。或は、作新学院の強打が大西君の「平静」すら打ち砕いてしまったか。常に、「自分たちの野球をやる」というのは簡単そうで難しい。地方大会で犠牲バントを多用しなかったと云う山梨学院高校は甲子園で見た限り、ほぼ手堅く送って来た。結果、強力打線は開花せぬまま甲子園を去った。作新学院はどうしても先制点が欲しい決勝戦ですらノーアウト1塁から強行し併殺打。流れが悪くなりそうなのに次のチャンスを同じ強行策でものにした。決してぶれることがない小針野球。それはただ送りバントをしないというだけではない、ノーアウト1塁をいかにアウトカウントを増やさずして進塁させるかを徹底的に突き詰めた小針スタイルだった。何度も失敗しながらも、恐らくいろんな関係者に散々ボロクソ云われながらも繰り返し繰り返し練習して来た「成果」である。今年のベストゲームは、その作新学院と木更津総合の一戦だろうか。作新学院は花咲徳栄と木更津総合という関東の有力校と立て続けに戦う羽目になりしっかり勝ち上がった。花咲徳栄の高橋君、木更津早川君と対戦した作新学院にしてみれば明徳義塾は与し易かったかもしれない。その高橋君、早川君と全く引けをとらない凄みがあったのは広島新庄の堀君か。去年とは見違える程よかった。特に球数が増えれば増える程に球は走った。横浜の藤平君はいいとき悪いときの差が激しいが、早川君と堀君は甲子園では常にベストピッチに近いものを出していたように思う。やっぱり甲子園は面白い。

at 14:01, 古書赤いドリル, -

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8月19日、中村計さんの新刊を読む。

甲子園はベスト4が出揃った。作新学院、秀岳館は順当。明徳は今回珍しくクジ運がよかった。どんなチームとやってもそれなりの戦いができるのが明徳義塾、つまり馬淵監督。とはいえ最近は強豪校と早めにぶつかってしまい早々に散ることが多かった。今年の春はセンバツ連覇を目指した龍谷大平安、咋夏は春夏連覇を目指していた敦賀気比、一昨年の夏は優勝した大阪桐蔭、もう少し遡れば藤浪のいた大阪桐蔭(このときは準決勝だった)、春夏連覇した興南、春準優勝夏優勝の日大三高…キリがないがそんな感じだった。今回、2回戦からの登場で相手が境高校に決まった時に少しホッとした。次戦が沖縄の高校で嫌な感じはあったが思いがけず圧勝。準々で鳴門高校だったが中野が完投。ここまですべてがうまくいっている。準決勝は作新学院。馬淵対小針。ぼくにとっては最高のカードが実現した。力は作新のほうが遥かにあるが、馬淵さんがどう食い下がるのか。走塁と守備力は互角ではないだろうか。小針監督も打撃力プラス守備力のチームを毎回作ってくる。今年もほんとうにいいチームである。もう1試合も面白い。鍛冶舎さん率いる秀岳館と平川監督の北海高校。北海高校は投手の出来次第になりそうだが、今や全国屈指の激戦区南北海道を勝ち抜いた北海高校である。僅差のゲーム展開に持ち込めたら面白い。しかし、秀岳館の打力はまだまだこんなものじゃないない気もしている。  久しぶりに南北海道のチームが優勝を狙えるところまで来た。駒大苫小牧以来ではないか。北海高校の平川監督は駒大苫小牧の監督だった香田さんと同い年でかつてしのぎを削っていた。いま、香田さんは西部ガスのコーチである。去年今年と激戦の九州地区を勝ち抜いて東京ドームに来た。今年も西部ガスを応援していたが、最後の最後で逆転負けしてしまった。東京ドーム初勝利はまたおあずけになった。香田監督率いる駒大苫小牧にぼくも熱狂したひとり。香田監督が駒大苫小牧を退職するまでの2年間ほど道スポを購読していた。鶴見大コーチに決まったとの記事を見つけて購読をやめたのだったか。それは2008年の冬だったろうか。安倍昌彦さとならんでんもっとも敬愛する野球ライターの中村計さんが分厚い一冊を出した。『勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧幻の三連覇』。発売数週間前にamazonで見つけてすぐ予約、自宅に届いて既に2回読んだ。香田監督がいかに凄い監督だったか、ぼくも過去に何度かここで書いてきた。何故凄かったのか、どう凄かったのか?「凄い」の中身にとことん迫った「決定版・香田誉士史」である。そして、積年の疑問、あの日、香田監督はわざと負けたのではなかったか?という疑問にもこの一冊は答えてくれている。高校野球とは何ぞや?という問いかけにすら答えている。アメトークなどの影響もあるのだろうか、いま高校野球は盛り上がっているように思う。甲子園の入場者数が半端ない。マスコミも「BIG3」だ「BIG4」だと煽るから尚更だ。そういった「タレント」が高校野球のA面の華ならば、名監督はB面の華である。ぼくは高校野球はNHKで観る。何故なら監督インタビューがあるからだ。BS朝日(つまりABC)は選手のインタビューしかないのでつまらない。最近、ナンバーWEBの記事で中村計さんが「監督の迷言集」といった記事を書いてくれてこれが最高だった。「書いてくれて」と敢えて書く。あの馬淵さん中傷ツイッター騒動があった直後に発表された記事で、馬淵さんや聖光学院の斎藤監督のエピソードが最高である。ぼくが駒大苫小牧に惹かれて追っかけだして、その中でも最高と思われる試合は、2005年の鳴門工業戦と2006年の青森山田戦。偶然にもこの2試合は甲子園で生観戦しているのだが、衝撃を受けたブレーが鳴門工業戦で見せた岡山選手の走塁だった。このプレーを中村計さんは「このプレーには香田の思想、駒大苫小牧の練習のすべてが詰まっていた」と書いている。駒大苫小牧の魅力はバッティングと走塁、そして堅調な守りだった。その駒大苫小牧の「守備力」の本領について中村計さんは解明している。香田監督の異常なまでの「カバーリング」への執着が実に面白い。今大会、ぼくは常総学院の茨城県大会決勝における左翼手のカバーリングと送球の素早さに驚き「優勝候補」を確信したが、そういった細かい野球を追究した点で駒大苫小牧は革命的だった。ちなみに、今大会、明徳義塾も常総と同じカバーリングで得点を防いだことがあり、さすが明徳と感心した。甲子園を勝ち抜けるのはクジ運と守備力なのか。本の話に戻る。この本は駒大苫小牧の強さの秘密を解き明かしているが、それは同時に香田監督の人間像に肉迫し解剖してゆく作業でもある。また、駒大苫小牧の光と影がめまぐるしく交錯した数年間の「影」の部分についても筆をゆるめることはない。優勝と「不祥事」を繰り返した駒大苫小牧。高校野球は「悪意」と「善意」によってできている…とすら思えて来る。あの早実との決勝戦、わざと負けたのじゃないか?とぼくが疑いをもった延長戦における「スクイズ失敗」について香田監督が語った言葉とは?「100年にひとりの監督」、誰よりも「勝利」に取憑かれた青年監督の実像をあますことなく書き記した418頁、少しでも高校野球に関心があるのなら読むべきだ。普段「読むべき」と云う表現はまず使わないけれど、高校野球について語る人間があまりに多いので敢えて使ってみた。…それにしても。香田監督はこのあとどういう野球人生を歩むのだろう。鶴見大コーチ時代は鶴見大の試合結果をチェックし、西部ガスコーチになってからは都市対抗出場を楽しみに待っている。しかし、正直物足りない。やはり高校野球の監督がいいな。また、マー君と同級生であの年の副キャプテンだった本間選手は今夏の都市対抗にも出場、JR北海道の主力選手として奮闘している。駒大苫小牧から亜大に進学した本間選手、2年、3年時は試合に出れずスタンドで応援している本間選手をいつも気にしていた。スタンドの応援団(つまり控え選手)を盛り上げている姿をよく目にした。4年生の本間選手は極端に短く持ったバットで現巨人の澤村からホームランも打った。そして今年の本間選手も、まるで野球漫画かというくらい短く持ったバットで打席に立っていた。いま、日本で最もバットを短く持つ野球選手、魅力はちっとも色褪せてない。

at 23:05, 古書赤いドリル, -

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