橋下の「入れ墨調査」には驚いた。入れ墨を理由に馘首するなんて正気なのだろうか?人員削減の理由探しだとは思うが、やることが益々漫画化している。橋下の「入れ墨禁止令」で連想するのは山岳ベースにおける遠山さんの「指輪問題」である。赤軍派の遠山美枝子がつけていた指輪を永田を中心とする革命左派が指弾した一件だ。指輪をしてようがしてまいが「革命」になんら影響はないはずだが、その「指輪」を以て「革命家」としての姿勢を問う。連赤の悲劇の端緒にもなった。橋下は山岳ベースにおける森=永田化している。囲み取材時における記者への繰り返される詰問なんてまるで「総括」の再現じゃないか。そんなことを考えながら目黒に向かった昨日。昨日の日曜日、目黒区民ホールで行われたのは、全体像を残す会主催のシンポジウム「浅間山荘から四十年 当事者が語る連合赤軍」。今回のシンポジウムの特筆すべき点をピックアップすると、青砥幹夫さんが生出演することであり、また森達也さんや雨宮処凛さんといった第三者が参加する点。
第一部は映像作家である馬込伸吾さん制作「映像でふりかえる」。60年安保から連赤までの新左翼闘争史を急ぎ足でなぞっていく。蛇足だが『証言9号』で馬込さんが進藤隆三郎の恋人であったAさんのいまの思いを代弁しているのだが、これはとても貴重な証言だと思う。山岳ベース直前の坂東隊内部でのやりとり、特に警察に駆け込むと脅すAさんに対して党を守ろうとする進藤さんの真摯さを伝えるエピソードには心打たれると同時に新たな発見なのではないか。それにしても、馬込さんの活動にも瞠目させられる。
第二部は当時の活動家たちが語る連赤問題だが、この回では正直何度も繰り返される議論ばかりで新鮮な発見はない。ただ、青砥幹夫さんの言葉には沈黙を守らざるを得なかった四十年の苦渋がにじんでいたように思う。語り続けることである意味矢面に立ち続ける植垣さんと、重い口を開いて言葉を絞り出すように語る青砥さんに、通底するものを見出した気がする。山田孝さんが山岳ベースのCC会議で森恒夫に「死は平凡なものである」から総括の仕方を考え直すことを提案した事実を青砥さんは「森恒夫自己批判書」によって初めて知り、そのことを考え続けたという。山田孝さんが「死を平凡なもの」と考えていた訳はない、死に至る総括をやめさせるためにそういう言い回しをせざるを得なかったのは何故か。植垣さんも或は坂口弘もその著作で似たようなことを述懐していたが、森恒夫を論破する言葉を持たなかったと。森恒夫を論破出来ない限りその総括をやめさせる術はなく、論破できない以上はつきつけられた問題を総括し超克するために自己をひたすら解体するしかない、それが山岳ベースという小宇宙のルールだったと想像する。第四部に登壇した『レッド』の山本直樹さんは連赤事件を「言葉が暴走した」と評していたが、森恒夫から発せられる言葉に対抗する為にはその論理を乗り越える「言葉」しかなく、言葉に伴い吹き荒れた暴力を封じるにはやはり言葉しかなかったのではないか。
第三部には森達也さん、田原牧さん、弁護士の大津卓滋さんがゲストパネラーとして登場する。森達也さんはやはり場慣れしていて、司会の質問に対して的確に返答する。印象的だったのは「短い言葉で総括しようとしなくていいのではないか」という提案。連赤関係者が必ず口にする「連赤をどう総括するのか」という出口なき自問に対してのその発言は新鮮だった。オウム問題を考え続けている森さんだからこその発言であろう、ただ残す会の活動はまさしく「残す」会であって「総括する」会ではないという点で森発言から乖離していないように思った。
田原牧さんは「連赤」が市民権を得るのは気持ち悪いと、これも刺激的な意見だった。なるほど例えば東大闘争などが「青春の1ページ」として語られることが多いなかで、「青春の1ページ」に収斂することがなかった連赤つまりあさま山荘事件も、若松監督作品以降「彼らは本当はピュアだった」という文脈に収まりがちである。そのことに対する田原牧さんの異論には納得できる。司会の金廣志さんが若松監督作品のクライマックスシーンを引き合いに締めくくった。「加藤三兄弟末弟の勇気がなかったんだよというあの台詞こそが事件を矮小化し現代日本市民社会のロジックに取り込まれることなのでは」と。かつて映画公開後、静岡の「バロン」で「あの台詞で映画のすべてが台無しになった」と言ったぼくに植垣さんは「勇気がなかったんじゃなくて勇気がありすぎたんだよ」と笑った。昨日も同じことを壇上で言っていた。あの場面でかかるジム・オルークがカバーしたビル・フェイの「Pictures of Adolf Again」は確かにいい曲ではあるけれど。
第四部は山本直樹さん雨宮処凛さん他計5人が登壇。その時点ですでに四時間経過。出ずっぱりの当事者四人、雪野さん前澤さん、植垣さん、青砥さんはちょっとお疲れの様子、コメントを求められる青砥さんの回答がどんどん短く鋭くなっていて逆に面白かった。雪野建作さんの回答は毎回丁寧で論理的、いつも思うことなのだが、穏やかで紳士的な雰囲気の雪野さんが真岡で銃を奪い武装闘争を目指し十年も刑務所で暮らしていたというのだから、なんというか、やはり「連赤」は奥が深い。雪野さんの発言で印象に残ったのは、「雪野さんが奪った銃であさま山荘で機動隊員が死んでることに対して謝罪しますか」という金さんの挑発に対して「真岡の銃で人は死んでない」からその点で反省はしない、ただし「武装闘争」に同意した自分を反省はする、と静かに語られたその言葉。雪野さんは榛名に入る前に逮捕されていたからその現場に居合わせたわけではない、ただ同じ横浜国大の左派の仲間たちを失っていることの責任を見つめ続ける40年だったことは間違いない。『証言2号』で読むことができる雪野さんの「優しい性格に鞭打って闘った、寺岡恒一さん」は何度読んでも泣けてしまう。雪野さんが刑期を終えて寺岡さんの実家を訪ねてそのご両親に歓待されるエピソードを読むたびに裡に湧くのは、連赤で亡くなったひとりひとりの物語を想像し続けなければならないという自戒の念である。『レッド』の山本直樹さんがその登場人物すべてが愛しいと話していたのはつまりそういうことだろう。映画だから仕方ないこととはいえ、若松映画でもやはり死んでゆくひとりひとりに割かれる尺に差があり、字幕のみで誰々死亡なんてあっさり片付けられてしまったりする。字幕のみで語られる死を掘り起こす作業を古本屋としては目指さなければならないという自戒だ。
全体を仕切った金さんの司会がなければ、五時間で終ることはなかったろう。簡潔にまとめるのが苦手な新左翼活動家の発言の要旨をわかりやかく翻訳する金さんの手際に「さすが受験のプロ」と感心した。充実したイベントを開催した全体像を残す会に敬意を表すると同時に、残す会が編む『証言』シリーズは当店でも入手可能であることを宣伝して報告を終わります。