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『仙台学 vol.11』を読んで。

  最近腹が立ったこと。
 
 佐賀県知事だったか、「何故浜岡原発だけが停止なのかわかるように説明して欲しい」。すげーわかるだろう、と。たまに総理大臣がナイスな決断したのに、それがパフォーマンスだとして何だ?明日東海地震が来たとしてそれでも経団連の会長は「パフォーマンスだ」と鼻毛見せながらくさすのだろうか。こんな奴が経団連の会長やってるんじゃ景気なんか向こう100年よくならないよ。口では「がんばろう日本」とか「こころはひとつ」とかそんなスローガンが溢れかえった日本で浜岡原発停止に難色示す人々がいるのは何故?結局他人事だから。それに尽きる。もちろんぼくにとっても他人事である、他人事をどれだけ想像力を働かせて自分事にするか?東京や名古屋や大阪といった大都市圏に住む人間に求められているのは想像力かも。そういえば、阪神大震災時まだミーツにいた江氏が社内で感じた神戸に住む者と大阪に住む社員との温度差についてかつて書いてた。恐らく政府もいろんなデータを持っていて東海地震が来る日をそんな遠くない未来と想定しせめて浜岡が福島の二の舞になることだけは避けようと・・・と考えたわけでそのロジックに異議なし!である。警戒する輩が考えてることはただひとつ、今回の「浜岡停止」がきっかけで「原発廃止」の気運が巻き起こること。とりあえず、この件に関してブーブー言っている首長や経団連の某は電力会社と癒着していることだけは間違いないし、説明不足で国民が不安を感じるなんて暢気なコメントをしている知事はみなその膝元に原発を抱えていて県民が「原発」の存在を忘れてくれることをひたすら祈っているだけ。ダメだししかされない菅政権だけど他にも腐ったやつらはいっぱいいる。

 そんななか「仙台学 vol.11」を読む。仙台在住東北在住の作家が多く寄稿している。熊谷達也氏、佐藤賢一氏、高橋克彦氏などなど。「アートタイムス」の大島さんも寄稿されていた!気になっていた伊坂幸太郎氏も文章を寄せている。

 いくつか取り上げる。「東北学」の赤坂憲雄氏。「もはや、東北には原発はいらない、原発に将来を委ねることはできない。福島から、東北から、原子力に代わる自然エネルギー(水力、太陽光、風力、バイオマス、地熱発電etc)への転換を大がかりに進めなければならない。大きな傷を負わされた福島こそが、そのためのはじまりの場所、聖地になる」。朝日新聞記者の木瀬公二氏の「災害で見えてきたもの」は、テレビでは絶対伝えない迫力のある内容だった。ルポライター山川徹氏は書いている、「《復興》なんて《平気な貌》をした街で生活する人たちが、自分たちの不安を和らげるために使っている言葉なんじゃないかと」。浜岡原発停止ぐらいのことで「夏場の電力が」「景気回復に水が」といった言説を垂れ流すテレビ報道に消耗した身にその言葉が沁みる。

at 09:17, 古書赤いドリル, -

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