<< ready? | main | 第5戦 >>

いきものがかり

 「日本死ね」のブログが話題になった。一主婦のブログが國を動かす、いい話じゃないか。待機児童問題より、ぼくは「日本死ね」に大いに共感した。この國はいちど死んだほうがいい、その主婦はずっとそう思っていたに違いない。保育園に落ちたことでその潜在的な思いが発露したに過ぎない。そう思う。保守系の議員や政治家はこれを「便所の落書き」とバカにする。「便所の落書き」で大いに結構、何が悪い?「便所の落書き」は寺山修司や第三エロチカの川村毅など才能あふれる劇作家たちのモチーフによくなったものだ。ぼくはそれらの影響を受けて大人になったので、「便所の落書き」とは褒め言葉にしか聴こえないが、便所の落書きを畏れない政治家はセンスがない。未来を読む力がない。くだらない政治家にすぎない。そもそも最近の駅などのいわゆる公衆便所は綺麗で落書きもそんなにない。  


 とある無名の主婦が「日本死ね」とブログに綴った頃、埼玉県のとある老人は認知症の妻を殺害した。2016年の2月のこと。83歳の殺人容疑で逮捕されたこの老人、警察で何も食べず体力を消耗、入院先でも何も食べず何も語らず2月23日に死んだ。ぼくはこの老人が「日本死ね」と無言で語っていたように思えてならない。いわゆる老老介護で疲れ果てた後の殺人、逮捕後の絶食、何一つ語らないままに餓死。裡から溢れ出るままに強烈な言葉を投げつけた主婦、何が一億総活躍だ?と。一方、この國から見捨てられたような老夫婦、記憶を失ってゆく妻と自分に鞭打って介護を続けた83歳の旦那。無言と絶食。警察や病院が提供する食事を拒否。「俺を殺人犯にしたのは誰だ?」、一言も発さないままに迎えたその死は恐ろしく饒舌に問いかける。保育園に落ちた主婦が抱くこの國への怒りと食事を拒否する無言の老人の秘めたる怒りが共振している。  


 同じ頃、もうひとつの「無言の死」があった。5年以上絶食を続けた鳥羽水族館のダイオウグソクムシである。2016年2月14日のことだ。深海でひっそり生きていた「彼」は鳥羽の小さな水槽で与えられる食事を拒否し、緩慢な自死を試みる。この國への強烈な「NON」がそこに窺える。東日本大震災、第二次安倍政権成立、特定秘密法案安保法案の成立、不倫騒動に湧くニッポン…そんな時代を共に生きたダイオウグソクムシが静かに死んだ。絶食の理由は不明である。  


 「いきもの」の死は悲しい。政治家とは「いきものがかり」である。この國の「いきもの」がどうやったら永く平穏に生き存えることができるのか、を考えるのが「奴ら」の仕事である。甲子園初出場を決めた選手たちに「一回戦で負けろ」と怒鳴ることが政治家の仕事ではない。「いきものがかり」としての覚悟があんたたちにあるのか?無名の主婦は、老老介護に疲れ果てた老人は、深海から拉致されたダイオウグソクムシはそう問うている。

at 20:23, 古書赤いドリル, -

comments(0), trackbacks(0), - -

comment









trackback
url:http://blog.aka-drill.com/trackback/708