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圧倒的な。

 蜷川幸雄が死んだ。清水邦夫のコメントは何処かに載ったのだろうか?テレビやネットだと藤原竜也や野田秀樹や大竹しのぶなどしか目にできなくて。蜷川と清水邦夫の現代人劇場→櫻社の舞台は「もう少し早く生まれて観てみたかった芝居」のひとつ。戯曲『真情あふるる軽薄さ』にはどれだけ影響を受けただろう。あらためて記憶をほじくってみたが蜷川演出の舞台はそんなに観てない。シェイクスピアへの興味がゼロ、大きな劇場の芝居は基本観ない、というスタンスのせいだろう。チケット代も高いし。せめて何年か前にシアターコクーンか何かでやった『真情あふるる軽薄さ』だけは観ておくべきだった。  


 蜷川死すの報を聞いた頃、ぼくは長谷川康夫の『つかこうへい正伝』を読んでいた。移動中しか本を読まないのでものすごく時間はかかったが、ものすごく面白い本だった。今更ながら、つかこうへい事務所の全盛期の舞台を観ておきたかったとちょっと思ったが、年齢的に無理なので仕方ない。長谷川康夫と云えばNHK銀河テレビ小説の『かけおち’83』。亡き父親と毎夜大笑いしながら観てた。長谷川康夫と大竹しのぶが最高で、他の役者も凄くて。ぼくは中3、つかこうへいの小説を愛読し相当影響も受けていたはず。映画『蒲田行進曲』も公開されたあとで世の中的にもつかこうへいブームが燃えたぎっている頃か。ロッド・スチュアートの「セイリング」が挿入歌だったような…。もういちど観たい。DVDになってないのかしら?で、その長谷川康夫が「評伝」の体裁を取りながら、つかこうへい事務所旗揚げ前夜から解散までを丹念に追ったのがこの本。驚くべきことの連続だった。読んでいて「この感じは何かに似ている」とずっとひっかかっていた。で、昨夜気づいた。つかこうへいと俳優達の関係はまるで連合赤軍の「山岳ベース」だ!つかがちょっとしたことで役者にケチをつけいたぶりはじめ周りはひとことも発せず下を向く…。まるで森恒夫の「総括」がはじまったかのような…。年齢構成も似ているのだ。つかこうへいは26歳の若さで岸田戯曲賞を獲っているが、メインの俳優たちは少し年下になる。20代前半の若者たちが少し年上のつかこうへいの指示に歯向かうことなく黙々と身体を鍛え芝居に取り組む姿が「連赤」を彷彿とさせるのである。「連赤」本がそうであるように、この本も長谷川や平田満、風間杜夫、三浦洋一ら若い役者たちの青春群像劇としても大いに楽しめる。作者は自分についての記述を減らそうとしたようだが、むしろそこをもっと読みたかった。長谷川が『かけおち’83』の主演を務める前年までしかこの本では描かれていない。その後の作者とつかの人生を知りたいと思う。  


 読後の感想をいくつか。ひとつ、三浦洋一の「マキシーのシーン」を観てみたかった。ふたつ、三浦洋一がなぜつかから離れて行ったのか。みっつめ、最も強く印象に残ったのは四ヶ月の公演が終って、役者たちが別れ難く朝まで呑んだあと箱根まで1泊旅行するというエピソード。27歳。一世を風靡しつつ、実はまだそんなに若かったのである。  


 つかこうへいについて、十数年前のことではあるが、会社の後輩と何やら議論した記憶がある。横浜のバーだった。つかこうへいの国籍について。つかの作品の根底には「在日」である自分へのこだわりがあるというようなことを主張する後輩とそれを否定するぼくと、議論は平行線。長谷川の本を読む限りではぼくに分があったようにも思うが、それもよくわからない。つかは「在日」という「出自」を利用した節もある、と長谷川は推測している。自身の「国籍」について話すタイミングやその相手など、すべてを「演出」してしまう「つかこうへい」という男の底知れなさを、単純な「評価」の枠におさまらない人間であることを、長谷川は書き留めておきたかったのだろう。間違いなく不世出の演出家であった。


 ところで、ぼくが芝居に目覚めるのは84年頃、つかこうへいの小説に夢中になったあとのことだ。60年代の小劇場演劇、状況や天井桟敷やその他諸々のアングラ。アングラの残り香がある芝居を追っかけた。「アングラ掃除」のつかこうへいを経由して「アングラ」に目覚めてしまったのだから、不思議。



at 10:38, 古書赤いドリル, -

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