<< 空のゴミバケツ | main | 春闘 >>

2016年

 2016年はずっと仕事していたような、仕事しているうちに終っていたような、そんな年だった。カープの優勝、トランプの大統領選勝利がもたらすもの、原発避難者いじめ。何よりも、相模原の障害者大量殺人に捉われた。  

 

 自分はこの国の役に立ちます、と時の政権に手紙を送り「役に立たない」と思われる重度障害者を殺す。誰の「役に立たない」のか?そもそも誰かの「役に立つ」必要があるのか?犯人がそれほどまでにこの国の「役に立ちたい」と願ったのは何故か?  

 

 昨日、トランプが大統領に就任。独逸ではヨーロッパの右派軍団が集会を開いたらしい。もしかしたら、こういった潮流のきっかけを作ったのは安倍かもしれないな、と思った。最もうまくやってるのは安倍かもしれない。これほどくみしやすい国民が他国にいるだろうか。沖縄にオスプレイが落下しようが、高江や辺野古で収奪が行われようが、SMAPの解散は受け入れられないと署名する人たちが何十万人もいたり、その解散をワイドショーの芸能ネタとしてではなく、ふつうのニュースの枠で「辺野古」や「カジノ法案」と同列に伝えるこの国ほど「楽勝」な国はほかに、きっとない。  

 

 原発避難者いじめの発覚は、「絆」とか「日本を元気に」とか、そういった薄っぺらいことばの「嘘」に、無意識のうちにストレスや違和感をおぼえていたこどもたちの「反乱」だろう。美化され続ける日本の「国風」に抗い、原発避難者へのいじめ、避難者からの「搾取」という事実を認める訳にはいかなかった学校側の「隠蔽」…。これ以上に日本的な、日本らしい、日本人ならでは、の事件はない。これぞニッポンだ。これがニッポンだ。原発事故後に発覚している無数の課題を放置したまま再稼働を推進するこの国ならではだ。東芝の原発事業の損失問題ほど愉快な話はない。日本では原発の安全対策のコストを安く見積もっているから、原発は「儲る」事業だった。だから、利益率の低い白モノ家電に見切りをつけてウェスチングハウス買収という高い買い物をしたのだろうけど。  

 

 2016年、最も面白かったドキュメンタリーは『ETV特集』の「わたしのCasa」。静岡の田圃の真ん中に置き去りにされたような団地に寄せ集められた日系南米人と高齢者。中学を卒業して臨時工などで食いつなぐ若者の夢はヒップホップの世界でのしあがること。若者の母親のおじいさんは沖縄出身。ソテツ地獄から逃れてペルーに渡る。やがて、その地で大東亜戦争の影響で弾圧や差別に苦しむ。祖父はこどもたちをペルーに残したまま死ぬ間際、沖縄にかえる。沖縄には祖父のもうひとつの家族があった。虐げられた人たちの流転。まるで水族館劇場の芝居を観ているようなこのドキュメンタリーは、2016年観たテレビ番組のなかで最も激しく揺さぶられた。ラスト、田圃のまんなかの団地に帰ってゆく日系ペルー人母子。その絵と、移民排斥を訴えるいまの時代の「空気」を重ね合わせてみる。  

 

 ドラマでは『闇金ウシジマくんシーズン3』。尼崎を思わせるような洗脳事件を。映画は『闇金ウシジマくんファイナル』。こちらは貧困ビジネスを。『闇金ウシジマくん』で描かれる貧困ビジネスは強烈である。映画『〜ファイナル』のラスト近くのやべきょうすけのせりふに泣いた。山田孝之至上主義。新年早々、またすごいのがはじまった。『山田孝之のカンヌ映画祭』。『赤羽』につづいて、これも狂ったドラマである。こんな連続ドラマをテレビでやってくれるなんて、蛭子さんと太川さんのローカル路線バスが終っても、やっぱり今年もテレ東だ。

at 08:37, 古書赤いドリル, -

comments(0), trackbacks(0), - -

comment









trackback
url:http://blog.aka-drill.com/trackback/746