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日大闘争

 アメフトとラグビーは特に興味がない。サッカーも興味ないが、W杯くらいは見る。冬季オリンピックを楽しんだりはするが、スポーツとして心底興味があるのは結局野球とボウリングだけだ。これから先も、アメフトは間違いなく見ないと思うけど、 昨日の日大選手の会見は真剣に見守った。  

 

 

 先週、友人と呑んだとき、「これは平成の【日大闘争】だよ。内田監督は古田会頭だね」なんて冗談を言っていたが、昨日の会見を聴いてたら、どちらかというと連赤だと思った。  

 

 

 それにしても、あまりにも嘘をつく人の会見ばかり見せられているせいか、昨日の日大選手の会見には日本中が感動したのではないか。ワイドショーのコメンテーター、ヤフコメなどなど世間の反応を見てると誰もが感動している。ここ数年、保身のために嘘を重ねる官僚や政治家の言葉に馴らされていた私たちは、彼の率直な言葉に、責任を負う態度に、新鮮な感動を覚えてしまったのだ。  

 

 で、大学サイドは、「忖度」で逃げようとしている。また、それか。監督やコーチの言葉を「忖度」して、反則行為に及んだと言わんばかりの日大回答。ね、明確な指示はなかったでしょ?という日大広報のコメントには選手の勝手な「忖度」で逃げようという思惑が見え隠れ。安倍作戦だ。  

 

 

 誰が見ても一目瞭然、「監督の指示」も「安倍がお友達のためにひとはだ脱いだこと」も誰の目にも明らか。なのに、それを認めずなんやかや言い訳を重ねてその場をのらりくらりやりすごす。そんなものをずっと見せられていると感覚が麻痺してくる。益々この国が嫌いになる。  

 

 

 選手の追い込まれ方が、連赤の総括と似ている。消耗している兵士に向かって指導者は云う。一兵卒からやり直せるのか、権力と対峙できるのか、敵を殲滅できるのか。反則行為をした選手に対して指導者は「成長のためだ」と諭す。連赤でいうところの「革命戦士として生まれ変わる」。  

 

 

 村の駐在を「殲滅」しろと命じられた赤軍派の兵士達が、駐在が「敵」とは思えないので「殲滅」を諦める、というエピソードが、確か、あった。日大選手は命じられるままに「殲滅」したが、「敵」は関学の選手ではなかったことに気づく。「敵」を見誤ってはいけない、そして、一兵士の悲劇には必ず無能な指導者の存在がある。  

 

 

 いまさっき、監督とコーチの会見が終わった。「忖度」して「殲滅」したのかと思ったが、監督によると、選手は「忖度」できず反則行為をしたことになった。どれだけ証拠が上がっても、とりあえずその場を言い繕えればOKという指導者の態度は見馴れた官僚や現閣僚と同じ。監督とコーチの会見のエンドロールには『仁義なき戦い 代理戦争』のラストのナレーションが流れていた。…真っ先に失われるのは若い命であり、その死が報われることはない。

at 22:28, 古書赤いドリル, -

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