昨日の高知大会決勝戦は例年以上に注目された。高知高校にスーパー一年生森木が入学し、今夏いきなり背番号1を背負ってデビューしたからだ。高知高校は中高一貫の私学強豪、明徳、高知商業と並んで高知三強の一角である。先日楽天に移籍した和田恋、日ハム公文、中日木下などプロ野球選手も輩出している。注目された決勝戦、明徳の先発は新地だった。なんと今夏初登板。決勝戦は新地とハナから決めていたらしい。最速130キロ左腕が完投勝利、単打とスクイズだけという明徳らしい試合運びで99回大会以来2年ぶり甲子園出場を決めた。しかし、驚くべきは馬淵采配である。予選で全く投げてない2年生を先発させて、勝ってしまうところが。つまり、勝てばよかったのだ、大船渡も。
大船渡高校の佐々木登板回避の賛否を巡ってめちゃくちゃ盛り上がっている。ヤフコメなど眺めていると「賛」が多いかな。ダルビッシュが得意のツイッターで支持を表明していたり。そのダルビッシュ、興南高校の宮城を絶賛していたけれど、宮城の「球数」には触れてなかった。それには興味なかったのかな。沖縄尚学との決勝戦、最後の方はフラフラしながら投げていた。痛々しかった。交代させた方がいいのではないかとも見ていて思ったが、試合後の情報によると、宮城が志願しての延長13回完投だったようだ。明らかに足にきていたのに凄い球が行っていたし、勝敗は紙一重、沖縄球史に残る激闘であったことは間違いない。
で、ダルビッシュも賛同した「佐々木登板回避」の件、ぼくは「先発回避」は予想していたが「野手として先発」、「リリーフ待機」はあると思っていたので、ブルペンにすら行かなかったことに驚いた。で、それ以来ずっとこのことを考えている。間抜けなスポーツ評論家が訳知り顔で言うように本当に「英断」なのだろうか、と。「決勝戦当番回避問題」を角度を変えて眺めると、「準決勝先発完投問題」でもあり、「決勝戦における大和田、和田のリリーフ登板なし問題」でもある。これだけ佐々木の「故障」を気にする監督が、4回戦までに佐々木に300球を投げさせた真意は何だろう。
今大会の佐々木、出場した試合は全て4番を任されている。登板のない試合は「完全休養」で野手としての出場はなかった。ただ、「完全休養」の試合は準々決勝のみであった。初戦は先発して2イニングのみ、コールド勝ち。3回戦は先発完投、このゲームも6回コールド勝ち、4回戦が延長12回194球完投。ここまで大船渡高校が起用した投手は佐々木と大和田。7月22日の準々決勝、大和田から和田にリレーして勝利。中1日の24日準決勝は佐々木が完投。対戦相手は優勝候補でもありセンバツに出場した盛岡大付を破った一関工。ここで21日に194球完投していた佐々木を登板させるのであれば、22日に投げた大和田、和田という二番手三番手投手を決勝戦で投げさせる策はなかったのか。佐々木は2年生の夏、2回戦で完投している。1番ピッチャーだった。次戦、登板こそなかったが、1番センターでフル出場している。つまり、佐々木は外野手ができるのである。登板させなかったとしても、外野手として出場させるという選択肢はなかったのか、あるいは野手として出場させることも難しいほど疲労していたのか。監督は登板させなかった理由をいくつか述べた。現時点での故障はないようだったが、それはドラフトを見据えてのことかもしれないから鵜呑みにはできない。ただ、致命的な「故障」があるのであれば、2回戦から4回戦まで、殆どひとりで投げさせた理由がわからない。「準決勝の朝、肘に違和感を訴えていた」という報道もあったがそれは絶対に考えられない。国保監督が肘の違和感を訴えた投手を起用するはずないからだ。また、決勝戦で佐々木以外の四人の投手を小刻みに継投させるのはどうだったろうか。最終的に12点は取られたが、先発が6回9失点。9点を失う前に何故投手交代させなかったのだろう。花巻東がエースの西舘を投入したのは6回、後半戦までに最小失点で試合を運べれば、佐々木を投げさせなかったとしても勝機はあったのじゃないか。ぼくの最大の疑問はその采配にある。決勝戦に限らないのであれば尚更、決勝に限ったとしても、采配次第では優勝の可能性があったと思う。佐々木の連投を避けながら、球数も抑えながら、五人の投手陣と競り合いをものにしてきた守備力で、花巻東と互角の勝負ができたのではないか。かつて松坂が肩のテーピングを外しただけで球場の空気を変えたように、佐々木がブルペンで軽いキャッチボールをするだけで、味方に勇気を与えはしなかったか。そんな「芸」の細かさが国保監督にほんの少しあれば、甲子園に行けたチームだったのではなかろうか。高校野球の監督に「英断」は必要ない、「采配」さえあれば。佐々木を投げさせずに、大船渡ナインは甲子園の土を踏めたのでは、と思わずにはいられないのである。
国保監督がどういう監督なのかまだよくわからない、わかっているのは、筑波大出身で社高校の左腕エースだった坪井と同期、卒業後、アメリカ独立リーグでプレー、花巻農監督時代の2015年にはベスト8で花巻東に敗れていて、この時は菊池という投手で勝ち上がっていて連投もさせている、2017年から大船渡高校で指導、大船渡では3回戦が最高成績、ということくらいだ。3回戦が監督に着任してからの最高成績であれば、今回は先ずは「決勝進出」を目標としていたのかもしれない。それならば、準決勝でのエース登板も納得できる。併せて、甲子園に出場することによって佐々木が負うであろう故障リスクを考慮し、勝ってしまう可能性の高い佐々木を決勝ではリリーフ待機すらさせなかった、つまり、「甲子園出場」を目指していなかったという解釈が可能だ。中1日で、かつ今夏完投すらない二番手三番手投手を起用しなかったのは、決勝進出という目標を達成していたから。経験が浅いとは言っても、花巻農監督時代にベスト8を経験しているし、それなりの球歴がある国保監督が投手のやりくりを間違えるとは考えにくい。佐々木をリリーフ待機させてしまうとブルペンでの球数が加算され、結局のところ佐々木への負担は先発とさほど変わらない、故にブルペンにすら行かせない。国保監督はこうも言っていた。プレッシャーのかかる試合では故障のリスクが高まる、とも。つまり岩手県大会の決勝戦や注目度が高い甲子園での登板は故障リスクが高く、佐々木の「将来」のためにプラスにならないと判断した、というところだろう。これは国保監督の「提案」あるいは「実験」なのかもしれない。マスコミは勝手に「怪物」と呼ぶけれど、全く「怪物」に値するような成績を残してない投手がどれだけ成長するものなのか、地方予選の決勝戦で登板を回避した投手が、「酷使」され続けた投手よりどれだけ成長するものなのか。「佐々木」という好素材を利用して、選手権大会の日程問題、球数問題に一石投じたかった…。
万が一、決勝戦で先発した投手が花巻東を完封し、甲子園出場していたら、佐々木は炎天下の甲子園で投げたのだろうか。30度を超える気温を登板回避の理由の一つにあげたほど監督は気温を気にしていたから、昼間は40度近くになるという噂の甲子園のマウンドに佐々木を立たせることはなかったかもしれない。うまいこと第一試合、第四試合なんかに組まれたら、あるいは登板させたかもしれない。
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「野球」は終わったが、即売会はもう少し。今週末含めて、残りあと5個。
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先週の土曜日、窓展が終了し一息ついた。その窓展の週の日曜日から搬入日である木曜日も含めて、合計5日間、稀な体験をした。
引越し屋にも断られたお客さんの荷物の運搬を請け負った。働き方改革などいろんな理由で引越し屋は断ったが、そのお客さんが障害者であることと受け入れ先が不確定であること、さらに日程が限られていることなどが主な「お断り」の要因だったかと思う。
しかし、完全に甘く見ていた。本の量は分かっていたつもりだったが、ハイエース満載5往復分あった。つまり千本くらい。その量の本をそもそも隙間のない何万冊もの蔵書がある家に無理やり押し込んでゆく。
家具も想像を超えていた。蔵書家とゴミ屋敷の主人は紙一重であると思った。狂気と向き合うことがこんなにしんどいとは。カセットコンロが次々湧いてくる恐怖。無用の卓袱台が湧いてくる恐怖。ハイエース満載10往復。独り暮らしの60オーバーの男性なのに五人家族並みの食器があり、料理をしない障害者なのに尋常じゃない量の調理道具があり、ゴキブリホイホイひとつ棄てない。
5日間、朝7時から夜9時まで、昼飯も食わず積み運び下ろし続けた。完全に一人でやりきった達成感よりも、最後は「狂気」から逃れたいと苦しくなった。
ただ、自分の体力はすごいと改めて思った。窓展搬出が終わった夜は「疲れたなー」と多少の感慨はあったが、翌朝も早朝5時から普通に働けた。
腰をやられた。
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その下関国際、創志学園に勝ったのもすごかったが、驚くべきは木更津総合戦だ。万が一大阪桐蔭がコケたら優勝してもおかしくないと思っていた木更津総合をがっぷり四つで寄り切ったのだ。その強さを支えるのは守備力である。今大会、全体的に守備力の高いチームが多い。あくまで印象に過ぎないが、エラーが少ないと思う。送球エラーも例年に比較してそんなに目立たない。下関国際はベスト8に残ったチームのなかでも最も堅実な二遊間だった。小園や根尾がドラフト候補として連日話題になっているが、ぼくのなかでは下関国際の濱松がナンバーワンセカンドである。下関国際の「菊池」だ。ちなみにショートは常葉大菊川の奈良間がいちばんだと思った。で、最強の二遊間に支えられ、下関国際は日大三高を崖っぷちまで追い詰めたが、最後うっちゃられた。都大会をヨレヨレと勝ち上がった三高だが、実はその投手陣たるや広島カープのブルペンよりも充実している。大阪桐蔭に匹敵する潜在的タレント軍団というべきか。そんな三高と互角に戦った下関国際の敗戦にぼくも落涙。どっちが勝ってもいいのだけど、淡々と投げていた鶴田が負けて、だんだんと涙が溢れていく様にはもらい泣きを禁じ得なかった。攻撃野球がトレンドのいまの高校野球に於いて、非力な選手は、揺さぶり・バント・ファウルで粘る・短く持って右打ちを徹底、本当に惚れ惚れするチームだった。付け加えるならば、非力ではあったかもしれないが、勝負強い打線でもあった。ヒットが出てない選手でも、ここぞの場面では打つ。強豪に競り勝てた要因だろう。来季以降、益々楽しみな坂原監督率いる下関国際である。
チームカラーが好対照なのが常葉大菊川である。チームカラーは森下監督時代とあまり変わらない。森下監督の頃よりも際立っているのは「ノーサイン」の徹底ぶりか。森下監督時代、印象に残っているのは大阪桐蔭に17対0で負けた試合だ。畳みかけているときはそのフルスイングは頼もしいが劣勢になると「無策」に映ってしまう。今夏、近江戦がまさしくそれで、強力打線は近江の林に完璧に封じ込まれる。最終回、近江の投手が変わると打線は覚醒し長打を連発、甲子園の空気を変えた。何より楽しそうに野球をやっているし、監督の方針は勝つことよりも「楽しむ」ことにあるようだ。従って、目の前の投手を打ち崩すためにファウルで粘ったり、コツコツバントしたり、短く持って右打ちしたりというような楽しくなさそうなことはしない。劣勢になるとどうしても「あっさり」しているように見えてしまうが、それが高橋監督の「高校野球」なのだろう。常葉大菊川が甲子園で強烈なインパクトを残した2007年頃はぼくが最もアマチュア野球を観ていた頃に重なる。多くのタレントを輩出したが今も活躍しているのはDNAの田中くらいだろうか。亜大にも出身選手が入部したがすぐに名簿から名前が消えていた。あの、伝説のセカンド町田も早大を数ヶ月でやめた。先日、NHK静岡が町田の現在を取材していた。障害者支援施設で働いていた。あれだけの素質がプロで開花しなかったのは残念だが、それも一つの野球人生だと思う。常葉大菊川の「野球」はあまりにも楽しくて、大学野球や社会人野球に馴染めないのではないかと勝手に想像している。今、亜大には常葉大菊川で活躍した栗原と赤井が在籍しているが、レギュラー獲得に至ってない。今秋以降に期待している。特に栗原は高校時代から注目されていた外野手、亜大で埋もれないでほしいと思う。ここ数年、東浜、九里、山崎、薮田、飯田、大下、大山、高橋などなど亜大出身投手はまずまず活躍しているが、野手は松田以降、さっぱり。ギリで高田。有力な野手も亜大でなぜか埋もれてゆく。大阪桐蔭の水本も正隋も1年時には活躍していたが、学年を重ねるごとに輝きを失った。今夏、レジェンド始球式に最年少で登場した本間もその一人。亜大では応援席で誰よりも目立っていたが、四年時、超バットを短く持つスタイルに変身し、中大澤村からホームランも打った。JR北海道では後年四番も務めて、都市対抗ではその個性的なスタイルを見ることができた。ずっと応援していたが、去年、引退。どうしているのだろうと思っていたら、始球式で変わらない「個性」を見ることができた。華やかな実績は残せなかったが、グラウンドでも応援席でも始球式でもその場を盛り上げることができる、記憶に刻まれる選手だった。
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馬淵さんが9年ぶりに負けた日から、馬淵さん関連の記事がネットに上がらない日はなかった。馬淵さんに関するニュースを求めて毎日チェックし続けていた。馬淵さんのもとでコーチをしていた狭間監督率いる明石商業が甲子園に出場することになったり、馬淵さんの教え子であり、馬淵さんの親友上甲監督のもとでコーチをしていた中矢監督率いる済美が2年連続出場を決めたり、松井秀喜の始球式の後に星稜戦が組まれて散々「5連続敬遠」が取り上げられたり、まるで馬淵さんの不在を惜しむかのように、その名前をネットで見つけるのは容易かった。ぼくのような馬淵信者の記者のおかげか。しかし、開幕戦が星稜と明徳だったら世間はどれだけ盛り上がったことか。明徳のことだから、出場していたらそのくじを引き当てていたかもしれない、想像しただけで恐ろしい。「5連続敬遠」はなぜこんなにも話題になり続けるのか、松井秀喜の人柄、その後の松井秀喜の輝かしい実績、そして永遠に「答え」は出ないであろう全打席敬遠の是非。101回目も102回目も、甲子園の夏が巡るたび、それは問われ語り継がれるのだろう。
基本的に高校野球中継は監督インタビューのあるNHKで観る。しかし、馬淵さんが解説をつとめた試合のみ、BS朝日で観た。高岡商佐賀商戦など。残念ながら初戦敗退したが、狭間監督の明石商業は甲子園の常連になるかもしれない。兵庫県という公立も私立も強い激戦区で勝ち抜くのは相当難しいだろうが期待している。馬淵さんの因縁は続く。星稜の2回戦の相手は済美。松井五敬遠の試合に選手として参加していたふたりが監督として対決することになった。エース級投手を複数抱え、石川県大会決勝ホームランを7本打った中軸など、タレント軍団星稜と、愛媛県大会から一人の投手しか器用してない済美。対照的な2チームの対決は壮絶な打撃戦となった。8回まではワンサイドゲーム、8回裏に済美がひっくり返し、決着はタイブレーク。タイブレーク是非論あるけれど、ぼくは大賛成。タイブレークは戦術が重要になるし、延長戦では不利と言われる表側のチームにもチャンスが生まれるし、何より面白いし、大好きである。導入が遅すぎたくらいだ。星稜に2点を奪われた済美はその裏逆転サヨナラ満塁ホームランで勝ち上がる。続く3回戦では、なんと明徳を破った高知商業と。高知商業は山梨学院慶応という強豪に打ち勝った。明徳市川を打ち崩した打線は本物で、慶応の生井を圧倒したのには驚いた。慶応の守備もひどかったとはいえ、東海大相模打線を抑えた生井をノックアウトである。おそらく、明徳だったら慶応にあんな勝ち方はできないと思う。高知商の打力は今大会出場校中でも屈指だったように思う。ところが、済美の山口はそんな高知商業を完璧に封じこんでしまった。この試合、もう一つ着目すべき点があった。高知商業の北代、済美の山口、二人ともこの夏、地方大会からずっと一人で投げ抜いてきた投手であること。球数問題が取り沙汰されるなか、オールドスクールなスタイルのぶつかり合いにも興味があった。ふたりともにナイスピッチングだった。ぼくは球数制限反対派である。複数の好投手がいるチームしか勝ち上がれなくなってしまう制度が導入されることはないと信じている。今夏でいえば、プロ並みの投手陣を誇る浦和学院や日大三高、大阪桐蔭、近江はいいけれど、ひとりのエースで勝ち抜いてきたチームは突然「投手交代」を余儀なくされ、当然それは試合結果を左右する。それに向けて「ブルペンを整備せよ」という意見もあろうが、そうなったら益々「スカウティング」は加熱するだろう。投手の球数制限は投手の肩や肘は守るかもしれないが、日本中の多くのチームの出場の夢を断つことになる。あるとすれば、大会日程をより緩やかにして、「連投」をなるべく回避させる手だろう。
今年の夏、100回の記念大会の盛り上がりに加熱する「酷暑」ニュースがリンクし、なぜかやたらと「甲子園」のあり方をめぐる議論が活発化した。いろんな「外野」の提言がメディアを踊り、そのいくつかはネットで目にした。橋下みたいな高校野球に興味なさそうなやつや、駅伝チームの監督といったウルトラ「外野」の意見には腹が立ったりもした。甲子園球場は暑いから京セラドームでやれとか…。100年前から京セラドームでやってたらともかく、今更京セラドームのために命を捧げられるはずがない。高校野球は教育の一環とか、選手の命が大事とか、ごもっともなお題目や正論らしき暴論を吹っ飛ばすくらい、これは狂気の祭典である。暑さ対策は必要だが、甲子園開催を諦めるという選択肢はないだろう。箱根駅伝の5区、毎年のようにブレーキになる選手が生まれる。意識朦朧になりながら走る選手を我々はテレビ越しに応援する。並走する監督もギリギリまで手は差し伸べない。毎年21人走るうちのひとりやふたりが脱水症状になる過酷なレースに対して「箱根は危険だからやめようぜ」と言い出す人はいない。山は危険だから函嶺洞門ゴールにしよう、とか。危険があったとしてもやめられないことはある。餅とか。毎年何人も死者を出しながら見て見ぬふりをされている餅。甲子園は、夏の高校野球は「餅」だ。死者は出してないのだから、餅より危険の少ない「餅」である。さらに、橋下は「丸刈りは旧日本軍みたいだからやめろ」という。橋下は朝日憎しで何もかもが気に入らないのだろう。丸刈りとか髪型なんぞは各校で決めればいいことだ。モヒカンの方が威嚇的で良いというならば全員モヒカンにすれば良い。ぼくに云わせれば丸刈より君が代やめるべきだと思うけど。丸刈りに罪はない。亜大は大学生なのに、ここぞの決戦のときなど丸刈りにしている選手が多かった。それでも負けるときは負けるし。今回出場した慶応は昔から髪型自由だしムードもいいし何よりタレント揃いの強豪だがなぜか神奈川をなかなか勝ち上がれないし、10年ぶりの甲子園出場の今夏も高知商に惨敗した。髪型のせいではもちろんないが、いつもなんとなくチームとしての迫力がない。この真夏の、巨大な、狂ったトーナメント大会を勝ち抜くには何かしらの「狂気」が必要という気もする。
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そして、今朝。ふたりと同じ年に生まれたひとりの男が死んだ。麻原彰晃、死刑執行。
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先週、友人と呑んだとき、「これは平成の【日大闘争】だよ。内田監督は古田会頭だね」なんて冗談を言っていたが、昨日の会見を聴いてたら、どちらかというと連赤だと思った。
それにしても、あまりにも嘘をつく人の会見ばかり見せられているせいか、昨日の日大選手の会見には日本中が感動したのではないか。ワイドショーのコメンテーター、ヤフコメなどなど世間の反応を見てると誰もが感動している。ここ数年、保身のために嘘を重ねる官僚や政治家の言葉に馴らされていた私たちは、彼の率直な言葉に、責任を負う態度に、新鮮な感動を覚えてしまったのだ。
で、大学サイドは、「忖度」で逃げようとしている。また、それか。監督やコーチの言葉を「忖度」して、反則行為に及んだと言わんばかりの日大回答。ね、明確な指示はなかったでしょ?という日大広報のコメントには選手の勝手な「忖度」で逃げようという思惑が見え隠れ。安倍作戦だ。
誰が見ても一目瞭然、「監督の指示」も「安倍がお友達のためにひとはだ脱いだこと」も誰の目にも明らか。なのに、それを認めずなんやかや言い訳を重ねてその場をのらりくらりやりすごす。そんなものをずっと見せられていると感覚が麻痺してくる。益々この国が嫌いになる。
選手の追い込まれ方が、連赤の総括と似ている。消耗している兵士に向かって指導者は云う。一兵卒からやり直せるのか、権力と対峙できるのか、敵を殲滅できるのか。反則行為をした選手に対して指導者は「成長のためだ」と諭す。連赤でいうところの「革命戦士として生まれ変わる」。
村の駐在を「殲滅」しろと命じられた赤軍派の兵士達が、駐在が「敵」とは思えないので「殲滅」を諦める、というエピソードが、確か、あった。日大選手は命じられるままに「殲滅」したが、「敵」は関学の選手ではなかったことに気づく。「敵」を見誤ってはいけない、そして、一兵士の悲劇には必ず無能な指導者の存在がある。
いまさっき、監督とコーチの会見が終わった。「忖度」して「殲滅」したのかと思ったが、監督によると、選手は「忖度」できず反則行為をしたことになった。どれだけ証拠が上がっても、とりあえずその場を言い繕えればOKという指導者の態度は見馴れた官僚や現閣僚と同じ。監督とコーチの会見のエンドロールには『仁義なき戦い 代理戦争』のラストのナレーションが流れていた。…真っ先に失われるのは若い命であり、その死が報われることはない。
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今週来週で150本分貼らないといけない。
不測の事態が連続するなか、来週17日までをなんとか乗り切りたい。
17日は次男坊の卒園式でもある。
未だ赤ちゃんのように可愛い次男も、
いよいよ小学生。
気づけば二人とも小学生で、ぼくの母校に通い、ぼくはついに50歳。
寒さの底が見え、ペナントも近づき、もうすぐ短パンの季節だと思うと、
少し心踊る。
50だが、短パンが待ち遠しい。
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2018年3月10日11日は古書愛好会@高円寺西部会館。
2018年3月16日17日は五反田遊古会@五反田南部会館。
同じく、2018年3月16日17日は紙魚之会@神田本部会館。
3月16日と17日は全く同じスケジュールなので、 私はほぼ神田におります。
3月は以上の3つです。
ほぼ新ネタ投入です。
4月は以下のスケジュールです。
2018年4月6日7日は窓展@神田本部会館。
2018年4月20日21日は本の散歩展@五反田南部会館。
2018年4月28日29日は好書会@高円寺西部会館。
2018年5月4日5日は城北展@神田本部会館。
…以上です。
宜しくお願い申し上げます。
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その日、ネットニュースに二つの訃報が伝えられた。ちょうど同じ頃だ。自民党に復党したばかりの与謝野馨と、東アジア反日武装戦線の大道寺将司である。浴田由紀子さんが釈放したばかりである。体調不良は何年も前から伝えられていた。それでもここ数年は辺見庸さんの跋文とセットで何冊もの句集を出しており、その存在感は際立っていたし、相変わらず連赤に比べて「東アジア〜」は人気があったし、その訃報には少なからずのショックを受けた。
与謝野馨と大道寺将司に何かの接点がないかちょっと調べてみたがわからなかった。晩年に声を失った保守系の政治家と、日本帝国主義と戦い続けた死刑囚と。
大道寺あや子は何処かで生きているのだろう。生きていて欲しいと思う。異国の空の下で、将司の死を彼女は聞いた。そう思いたい。1975年の5月19日に逮捕されてから42年、1977年に超法規的措置によってあや子が出国してから40年、二人は会ってない(はずだ)。
テロ等準備罪が参院で成立されるのを目前に控え、大坂容疑者と思しき中核派の一人が拘留されたままである。子どもの頃から目に親しんだあの手配書の大坂正明なのだろうか、本当に。渋谷暴動から46年。46年間も別人で生きてきたはずである。テロ等準備罪にリアリティを吹き込むためにも奴らは必死になって「大坂と思しき男」の本人化を図るだろう。黙秘の男性は本当に大坂容疑者なのか。仮に大坂容疑者だとして、指名手配されてからの46年をどう生きてきたのだろう。警察に手配されながら、最も激しい内ゲバの時代を生き抜いた。名乗った名前もきっと一つや二つではない。仮に黙秘の男が大坂容疑者だったとしても、今さら逮捕の必要性はない、それよりも空白の日々について語って欲しいと思う。少なくとも、与党が無理矢理成立を目論むテロ等準備罪のパーツになることを望まない。
連日北朝鮮がミサイルを発射している。その意図を誰もが図りかねている。安倍がピンチになると北はミサイルを発射する。安倍と金正恩は通じているのではないか、と妄想してみる。北のミサイルも、世界のどこかで毎日のように破裂している爆弾の一つ一つが政権にいいように利用されて、ますます自分はこの国を、「ここ」を遠く感じている。正確に云えば、憎悪を募らせるばかりであり、その憎悪を持て余している。
大道寺将司の死と大阪府警に拘留されたままの誰かと、総理の意向文書の波紋などについて思いを巡らせていた頃、石神井書林さんより一冊の本が届いた。『ぽかん』と云う小さな雑誌で、石神井さんの文章が載っていた。「千代田区猿楽町1-2-4(其の四)」と云うタイトルの文章のなかで石神井さんは書いていた、1974年のあの日のことを。永福町のカレー屋で、三菱重工ビル爆破を知った日のことを。爆破予告の電話に三菱重工がまともに対応しなかったせいもあり、8人もの死者と多数の怪我人が出た。「たまたまその日、三菱重工のビルの前を歩いていただけで強いられた死は、それを実行した人たちが掲げる正義や倫理とどんな関係があるのか。関係を強いた果てと、関係を取り払った果てと、この二つの出来事は両極のようにみえた」。「関係を強いた果て」とは連赤の同志殺人を指す。狼たちに殺人の意図はなかったにしろ、帝国主義的企業犯罪者への鉄槌として仕掛けられた爆弾はたまたまオフィス街を歩いていた「無関係」の人々を殺戮した。連赤指導部は、ものすごく単純化して云えば、革命戦士として相応しくない人間を淘汰した。しかし、そこにいる誰も「革命戦士」がどんな人間か知らなかったので小さな瑕疵をターゲットにして非難をぶつけ、結果的に殺した。共産主義革命のために同志殺人に至った彼らの「果て」と、戦後30年変わらぬ日帝の植民地主義に憤っていた彼らの「果て」と、ひとつの雑誌とそれを作り続けてきた人間の「果て」と、その人間と自分(石神井さん)の関係性の「果て」が石神井さんのなかで激しく交錯している様がみえてぼくはうたれた。自身の倫理を貫き、アイヌ差別、朝鮮人強制連行、東アジアの環境破壊といった植民地主義を清算しない連中への闘争の道筋で「無関係」の市民を巻き添えにし、結果その8人の死にずっと向き合って獄中で生きてきた大道寺将司のことを思うとき、塗り固められた嘘に胡座をかく政府の要人の「倫理性」について考えるとき、「果て」の有様を裁く資格を有するものなどいるのだろうかと、何度でも絶望するのである。
ここのところMONOの『Rays of Darkness』というアルバムに収められた「The Hand That Holds The Truth」を延々繰り返し聴いている。この曲をいま聞くことができてよかった、つくづくそう思った。高校時代の友人の健ちゃんならきっとこう云うだろう、「相変わらず那須くんはこう云う曲が好きなんだね」と。MONOは徹底的に生と死について歌っているインストバンドだ。どんな人たちがやってるのか全く知らない。知らないけれど、このひとたちは「言葉をつかわずに」ひたすら生と死について「歌っている」ようにぼくには思える。ここ数週間、この国や世界で起きているいくつもの出来事について考えるとき、ぼくの頭のなかでは常にMONOが鳴り響いていた。これを書いている今も。石神井さんの文章を読んでいたら、やはりMONOが聞こえてきた。
水族館劇場の機関紙『FISHBONE』の66号で桃山さんが書いていた一行の文章が忘れられず、今、こんな時代にあって、これ以上悲しくまた心踊らせる「檄文」はないように思った。「政治的な絶望が深ければ深いほどみはてぬ夢にまどろみつづける芝居者でありたいと考えている」。芝居者を古本屋に置き換えて誦んじてみる。
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往来座の瀬戸さん! 瀬戸さんとはたまに市場で偶然会うくらいで、市場で会うことも年に数回の瀬戸さんに花園神社で会えたのは嬉しかった。同じ頃、開業した信天翁さん。一緒に観た石神井書林さん、月の輪書林さん、股旅堂さん、DIG OUR SOULさん。もちろん、流浪堂さん。秋桜書店さん。古書ほうろうさん。九州の西海洞書店さん。ぼくが出会っただけでもこれだけいる。古本屋誘蛾灯としての水族館劇場。桃山さんの古本屋戦略は他の劇団には絶対真似できないものだと思う。
それにしても、古書ほうろうさんや流浪堂さんなど素晴らしい店舗がある古本屋と比して、「あの古本屋を自称している赤いドリルというやつは一体何を売って商売しているのだろう?」と水族館の人たちもきっと不思議に思っていることだろう。
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昨日は花園神社をあとにして、自転車で帰宅後、冷凍ミートソースをチンしている間にソファで気を失っていた。麦とホップを開けて、録画していた広島ヤクルト戦を再生し、得点シーンを探している間に寝ていたようだ。缶ビールは半分以上残っていて、電子レンジのミートソースは冷えていた。ヤフオクのチェックをしてから布団に横たわる。
本の散歩展が終わってから、いや、ここのところがずっと、今月が勝負と自分に言い聞かせながらしのいできた。今週末の城北展で展覧会確変シーズンは終了。水族館劇場花園神社公演の思い出として、本の散歩展翌日からの1週間を書き留めておこうと思う。
4月16日の日曜日、本の散歩展は月の輪書林さんの会、ぼくも副会長として心の持ちようが違う。翌日はドッと疲れるが、とにかく当選品の梱包発送を急ぐ。夕方から花園神社。三軒茶屋の郵便局から帰ってくると千代次さんからメールが入っていた。17時過ぎに行きます、と返信。初夏のような気候。Tシャツ1枚で自転車を漕ぐ。中原さんから「仕事」内容の伝授。客入れ「下手」担当。楽屋でゴハンを頂く。毎日、「ゴハン食べて」と中原さんやファニーさんや千代次さんに声を掛けて貰ったが、食べたり食べなかったり。これ、水族館劇場の「サラメシ」として、NHKで特集してほしいと今更思っている。次回公演のときはぜったいNHKは取材に来るべきだ。日曜日は高校時代のノイズ仲間の健ちゃんが観にきてくれていて感動。ぼくのブログで公演を知り、来てくれたとのこと。昔、健ちゃんに第三エロチカを猛烈に押し売りして一緒に観に行ったことなど懐かしく思い出す。劇団を作りたいとよく健ちゃんに語っていたが、劇団作るどころか芝居のことなどすっかり忘れて物欲の権化として生きた20代から30代半ば。反省してます。夜、公演終了、打ち上げが始まったので帰る。自転車の後輪がパンク。参った。仕方なく押して帰る。しかし、自転車押して帰ったら1時間半。帰ってから仕事もある。パンクした自転車にまたがり、無理やり漕ぐ。笹塚付近で完全に止まった。有料駐輪場にとめて笹塚より歩いて帰った。
4月17日の月曜日、梱包発送。市場は断念し、早めに家を出て笹塚に向かう。パンクした自転車を出庫し、近くの自転車屋に修理を依頼。幸い30分で治ったので、再び駐輪場に停める。今夜は雨なので一晩寝かせることにした。笹塚からは新宿三丁目まで1本であることに改めて気づいた。花園入り。雨が降ってきた。今夜は馬込さんと一緒に観る予定だったが、ぼくは客入れ終わったあとそのまま最前列の端っこで観た。日曜日は前芝居しか観てなかったので、やっと通しで満喫。終演後、椎野礼仁さんと馬込さんと3人で呑む。坂東国男書簡の顛末など。電車で帰宅。
4月18日の火曜日、出勤まで仕事。16時頃電車で新宿へ。花園。本日も客入れ後観劇。前芝居かせお客さんが湧く。8日間連続して前芝居を観たが、何度観ても、秋浜さんが演じる大黒天登場シーンはゾクッとした。かっこいい。風車の上に立つ秋浜さんと劇場のてっぺんから顔を出したファニーさんとの「空中戦」は初っ端の見せ場。
幕間のビールがものすごい勢いで売れていた。お客さんのトイレ、この日が一番多かった。終演後、皆が飲んでいるお店に合流。帰り、笹塚で自転車をピックアップ。
4月19日の水曜日、昼から神田、資料会。しかし特に買うものがなくてすぐ終わってしまい、一旦帰宅し2時間仕事してから自転車で花園入り。今日は客入れ後、「早退」。仕事。
4月20日の木曜日、日昼は仕事、17時頃花園。流浪堂さんと話す。平日なのに超満員。打ち上げの途中で帰宅。帰路、いつもアタマの中では大黒天登場シーンの音楽がリフレイン。
4月21日の金曜日、朝7時過ぎに高円寺搬入。9時帰宅。ネット作業後、明治古典会。2カーゴ弱買う。戦前、戦時下の教育関連のひとくち、片っ端から入札。風船舎さんの伝説の目録のアレの続き。「あの口にまだ続きがあったなんて」と驚く。ぼくのプランでは3時半に神田を出てのんびりと花園までサイクリング、途中定食屋にでも寄るつもりだったが、とんでもなくバタバタだった。会館で落札品を慌ててカーゴに積んでいるぼくを見つけた石神井さんが「東京戦争か」と笑っている。それでも落札できなかったものが10点以上。買えなくて、本当に良かった。全て落札していたら100万超えていた。危ない。2カーゴの落札品、段ボール11箱に詰め込んで発送。17時過ぎ神田を出て、自転車を飛ばし花園。お客さんは超満員だったが、制作サイドとしてはまだまだ物足りない様子。本日も空中ゴンドラ席は登場せず。
4月22日の土曜日、好書会。今回は完全に売れ残りのみ。新ネタなし。ここ3ヶ月で12個の展覧会のうちの11個目。こういう週を作らねばこなせないのだ。16時、高円寺出発。16時30分、花園入り。雨が降り出す。天気予報とはまるで違う本格的などしゃ降り。300個以上のレインコートを買い集めたらしい。おそらく新宿近辺の100円ショップや量販店からレインコートが消えたのではないか。雨が降れば劇団員、スタッフたちの仕事はさらに増える。何も千秋楽の前日の土曜日に降らなくても。去年の芸濃町の帰りもすごい雨だった。バスを待った深夜の名古屋駅を思い出す。2度目の石神井さんと少し話す。どしゃ降りのなか、秋浜さんはいつものように綱渡り。みんな、気づいているかな? 飛行機に気を取られて綱渡り気づいてなくない? 客入れに30分。客入れを終えたあとも雨は止まない。傘置き場の上のシートに溜まった水を「龍」の場面に合わせて落とすことになり中原さんと棒を持って「龍」を待つ。「龍」! 突く。大洪水。中原さんもずぶ濡れ。ぼくも脛あたりまでずぶ濡れになる。終演後、雨の中を自転車で帰る。手の感覚がない。冬山の遭難者が味わう寒さを想像する。それに比べれば大したことない。笹塚を過ぎてラーメン屋に入る。ビール、ラーメン。手の感覚が戻った。外に出たら、余計寒い! まっすぐ帰れば良かった…。風呂に入って思う。あの寒さの中、ずぶ濡れになった役者やスタッフは風呂に入れたのだろうか。どうか銭湯の熱い風呂に浸かっていてほしい。
4月23日の日曜日、千秋楽。素晴らしい天気。青空がこんなに嬉しいなんて。新宿に自転車で通うのも今日が最後。玄関にうず高く積まれた段ボール箱を掻き分け、新宿へ。花園の参道が心なしか浮ついているように見える。前芝居を目に焼き付けよう、大黒天が「悪いやっちゃなー」と挨拶する最初の登場シーン、あまちがここ新宿を睥睨する場面を。ラストシーンは皆で袖から見守る。森田さんがたまたま通りかかって、釘づけになっている若者にレクチャーしていたのがなんとも水族館らしくて可笑しかった。たまたま通りかかったその若者、舞台袖から見たラストシーンに本当に感動していた様子だった。きっと次回公演のときは見に来てくれることだろう。森田さんに御礼を告げて帰ってゆく若者、最後にいいもの見れてぼくも嬉しい。桃山さんの挨拶に万雷の拍手。打ち上げも明日からの解体に備えて、役者たちはほとんど呑んでる様子はない。左門さんは池に入り鯉をすくっている。大団円を迎えて尚そこがゴールではない。普通の劇団だったら、千秋楽の次の日に「劇場」を解体はしない。5階建てのビルほどもある劇場を解体する作業がどれだけ大変か、ぼくの想像力では足りない。その夜、神宮ではカープが逆転勝利で連敗脱出。
4月24日の月曜日、7時に高円寺。搬出。商品を仕分け、ネット用のみ自宅に運ぶ。梱包、発送、幼稚園迎え。やっと一息ついた頃、石神井さんからメール。ぼくの客入れしている様子を写真で撮ってくれていて、それを送ってくれたのだ。それは、実にいい写真だった。今週49歳になろうかというオヤジには見えない、ウブかったのである。
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